映画「ペイフォワード」のラストのショボさの謎

ネタばれですが、ペイフォワードのラストって、あの凄くいい少年が死ぬんですよね。それまで凄くいい映画だったのに、なんというくだらぬラスト、後味最悪!って感じなんですが、なぜ彼は死ななければならなかったのか。
その答えは・・・って、それほど大げさなものではないんですけど(笑)、多分、原作者がこの作品を作るにあたって、最初に描いたイメージが彼の葬式だったということです。
「こんなに努力してるのに自分は報われない」という気持ちを考えていたのだと思います。そんな時、もし自分が死んだ時に、思わぬ親切が形となって現れてきたら報われるだろうなぁと、そういう主旨で原作ができたのではないかと。
多分、この映画はラストから作られた。そして死んだ時には、親切な自分というものを多くの人が知っている必要がある。親切が広がっていく形、それは・・・。そんな感じでペイフォワードは生み出されたのではないかと。(多分、原作者も優しい人で、善行を範としている人だと思いますが。)
作者はラストで「報われる」という気持ちを伝えたかったんだと思いますね。
ところが!作者は観客が、「報われる」という気持ちよりも「愛した者を失った哀しみ」が勝ることを読めなかったんですね。それに結局は報われることよりも「善を成す」というそのこと自体で既に崇高だったわけです。
よって、ああいうショボイ印象しか与えることができなかったんだと思います。
「佳作」というのにふさわしい作品だと思いますね。

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