自信と運の関係

運の流れが悪い、と時々感じるけど、あれは果たしてどれくらい有意性があるんだろうか。
時々信じられないくらいにパチンコで超確率でハマる時があるけど、あれも確率の範囲では起こりうるのだろう。しかし、自分の調子とリニアに推移する時はやはりあるような気がする。取り締まりで自分だけ警察に捕まるとか…。まあしかしそれも運転テクの関係とも言えるのかもしれない。ラフすぎるとか。うーん。


とりあえず自信がある分野では物事はうまく行く。なんとなく気の乱れがないからなのかもしれない。好事はそのような抵抗がないところにスルスルと寄っていく。勝つという確信がないと好事は寄ってこない傾向。
しかしまあ信じられない偏りをするよなぁ…。
結局、負けがかさむと負け犬になっていく。ほどほどに勝たないとダメなんだろう。しかし負けがこんで、それでも勝負し続けると、無我の境地みたいになって少し勝つ事がある。冷やかしに終わる事はあるけど、一応確率的には結果を出さざるを得ない状況というか。神の補正といおうか。多分、悪運が左右できるのは純確率の3〜4倍までではないだろうか。


負けがかさむと、意地になって、負圧が固定される。それはまたダメなんじゃなかろうかという恐怖も含んで、ますます悪運方向にシフトする。祈ったら負け。自分の力の範囲で制御しないとダメなんだろう。選択権を失う状況の勝負は非常にまずい。その状態に陥らない工夫が必要なのだろう。まあどうしても止められない気持ちというのもあるけど(笑) 物狂おしくなっらアカンね。


まあ逆に言えば、調子のいい時は純確率の3〜4倍までツくということなので悪い面ばかりでもない。まあ、おおよそそういう状況を味わった事は極めてまれだけどw そういうのは勝ち組の皆さんががっぽり持って行ってるのだろう。そもそも生まれつきの時点でかなり差がついている。そういう持って生まれた運というのは、しばしば越えられないくらいの切片になってるのかもなぁ。生まれた時から負けてると、負けを取り返すという選択権のない状況になって、さらに負けるダメパターンなのだろう。うむむ。


そんな時はハートのエースが舞い降りるのを待つのが良さそうだけど、まあそれもなかなか(笑)
しかし時には勝利に対する愛なんかが有効なのかもしれないな。