摩耗せしもの

再び、人と付き合うようになると、自分がずいぶんと摩耗していることがわかった。
多分失われてるのは70%くらい。でも大事な人と付き合うためには、やはり自分の最高のパフォーマンスを出しておきたい。そうなると摩耗したところは再び取り戻しておきたいところだ。
そして考えてみると、自分は長い間、ここに文章を書くことによって自分を構成していてたように思う。この場所。既に閑散とした場所。かつては賑わっていた光のある場所。ここに書くのは、ここが過去と繋がる場所であり、そして過去には摩耗していない、ほぼ原型をとどめた自分が存在した場所だからである。
さて。
自分、そしそれと関わる外界としての他者。2年ほど、すっかり心を閉じていたので、ほとんど自分とのみ会話するという形であったが、ここしばらくで変化が出てきた。私は再び外に出た。多分、1年くらいじっとしていれば、傷は癒えると思っていたが、結局は1年半くらいだったと思う。多分、そのまま冷たい思考に沈んでいたら、自分が壊れてしまう、と思ったのもあるし、考えて考えつくしたら、考えがループしたのでそろそろ考えても進まない地点でもあったのだろう。ずいぶん遠くまで行った。そして多くのものが動きを止め、ほこりをかぶり、色褪せていった。
白くなった思考の上をさまざまな人の感情が駆け抜けていった。僕はそこを通り過ぎていく色彩を、膝を抱えてただ眺めていた。自分が社会に参加しなくなってから、ずいぶんの時が流れた。
ふう。
昔を思い出す。
感情の彩り、というものが昔は自分にもあった。何かに心を動かし、期待し、楽しく思い…。そんな日々もあった。そういうことをつらつらと書いていると、まるで自分の墓に墓参りしているような気持ちになる。全てをあきらめて心が穏やかに死んでいった日々。信頼は全て死に絶え、暖かさは失われ、どこまでも続く静謐…。それは奇妙なことに平和でもあった。誰も何も侵さず、ただ日々だけが流れていく−−まるで人間失格のラストの主人公のように。それはやはり平和だったのであろう。そのような状態で生き続けたというのは不思議であるし、完全に社会外であったが、そんな温度の低い平穏の中で、じっと動かずにいた。海上に出た潜望鏡から遠くの光景を眺めていた。

そして、すぐに疲れてしまうようになった。
多分、意識を持ち続けることに疲れてしまったのだろう。意識のスイッチが切れ、瞳は何も映さず、ただ日を重ねた。死にたがっている。そういう風にも見えた。絶望というのは、確かに死に至る病である。虚無が浸食を始め、意識はトラブルを恐れ、すぐに意識を切るようになった。何も見ない、何も感じない。そうしているのが一番楽だった。やれやれ、いまだに体が動かないし、意識を切りたがる。もしかしたらもうダメになっているのかもしれない。そして鬼籍に入りたがっているのかも知れない。

しかし引き留めるものもある。わずかながら。温度のあるもの。それが近くにいる。それは過去の光とリズムでもって僕を引き留める。しかしその世界と僕の間には断絶がある。深くて強い哀しみ。それが横たわっている。戦火の記憶。絶望の記憶。破壊の記憶。それはもう死んでしまった方が圧倒的に楽というくらいに馬鹿げて強いもので、人の良心や努力やささやかな思いなんかは太陽に水を注いだように一瞬で蒸発して消える。笑っちゃうくらい強大だ。そんなことはあっちゃいけないだろう普通、ということが実際にあった。そりゃあ意識を切りたくもなるだろう。そうしないと正気が危ない。

多分、それをストーリー化して理解するのが早いんだろう。何があったのかをあらためて理解し、自分の中にとどめる。真実に忠実に。でもその作業は多分、凄く恐ろしいことだし、また破壊を誘発する危険性もある。二度と見たくないおぞましい映画のように。でもそこをくぐらないと今もまた同じ続きとなる。

そしてそういったことを新しい人に及ぼさないという配慮も必要になる。助けの手は借りられない。それは自分で乗り越えられるべきものだ。まずは意識をあまり切らないで、出来るだけ長時間こっちにいるようにやってみることか。少しずつ。リハビリのようなもの。落ち着いて、余裕を持って、時間をかけて。動きを遅くして。
そしてまた笑える日が来れば。