壁の向こう

どうやら6分目。7月の余暇もうっすら見えてきたし、もう一踏ん張り。
何かしら新しいものを作ろうとする気持ちってやつは、バネをたわめるような良い時間がないと湧いてこないのかも。頭ではこうしようああしようと思っていても、肝心の気持ちが跳ねて来ないとなかなか動けない。逆に気持ちが跳ねれば多くのものがついていく。いかに自分をやる気にさせるかという戦略は大事である。そのためには心にいろんな栄養と水を与えてやらないとならない。私の場合、いい本や音楽、美しい女の子の微笑みとかがエネルギーとなる。
6/12は昔好きだった子の誕生日で、毎年この時期になると思い出す。初恋の子が11/12で、セカンドラブの子が6/12。女々しくもその日になると、彼女たちのことを思い出す。それ以降に付き合った子の誕生日はほとんど思い出さない(てゆーか、付き合ってた当事も忘れてて怒られたりしてたな(笑))ことから、やはり最初の方ほど恋愛エネルギーは強いのかもしれない。
今生きていれば…ってもちろん生きてるだろうけど、彼女たちもそろそろオバサンかもしれない。うーん、想像できないな。今のところ「結婚した」とかいう悪魔の知らせは来てないのでいいんだけど。いや、多分結婚してるだろうけど、オレはそれを一生耳にすることなく死んでいきたいと思う(笑)
彼女はもう台所のテーブルで一人泣くことはなくなったろうか。誰かがきっと手を貸してるんだろうな。
夏は好きな季節だけど、いろいろと思い出して切ない部分もある。あの幸せの予感を感じさせる雰囲気とか。それは冬の間に塗りこめられていた希望というやっかいな部分を掘り起こす。それはうれしくもあり、哀しくもある。期待するには重過ぎる闇。無力な自分とかを思い出す。何も出来ずに見送る自分。遠慮なく吹き飛ばされていく小さな願いや祈りとか。一応、それはオレにとっては大事なものだったんだけども。遠慮なく。もういいよ、と思う。
でも実際には「もうよくない」ので、やはり抵抗してみる。多分そこには誤解と勘違いと無知が含まれている。壁の向こうには風吹く大きな草原が広がっている。
時々壁の向こうがスッと見えることがある。そこが君のいる場所で。
僕は壁をなかなか越えられずにいる。その壁を越えたら鎧を外さないとダメだから。切られた傷が記憶を沸騰させる。カタキを取れと呻いている。自分が外されたことに恨みを持つ。
理不尽じゃないか、と。
でもちっとも理不尽じゃないんだな、これが。それが一般的にはフツーなのだ。最初の一歩がつまづくと、どんどん道が離れていくわけで。フツーじゃないのが問題であり。
オレはいろいろと方向音痴なんだよな。

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