納得がいかず

日記でも書いてみる。何を得るということは何かを失くす事だとよく言うけど、確かにそうだなぁと思う。全部を得ようといつも欲豚ブウブウになることが多いけど、実は選択肢は限られてきてるなと思う今日この頃。しばらく停滞気味のこの流れに一石投じてみるのも契機か。
私は麻木久仁子のファンでおじゃマンボウとかをひそかに楽しみにしてるんだけど、まあ昔好きだった女に似てるわけである。TVで麻木の笑顔とか見てるとたまにたまらなくなる瞬間がある。もう全て終わってるのに、未だに体のどこか心のどこかに彼女を好いている部分があって、そういった残留思念のようなものがそうした記憶の断片に食いついてくる。それは終わったけど、時が流れたわけではなくて、時は止まったままなのだろう。瞬間冷凍の如く。でもそういった強い感情を持てた事はなかなか良かったのだと思う。最近の停滞気味の小さな平和に比べたら、圧倒的な不幸であっても、強い上向きの感情を持ってた方がいいのかもしれない。違うかもしれない。ようわからんけど。

でもあれはまあ無謀だったよねぇ。今ならよくわかる。でも小さな槍持って風車に向かっていく自分というのもなかなか好きだった。蟷螂の斧折れて土に返るも、墓に芽吹く初春の兆しか。
でもまあまた、そういう感じでアツくなりたいもんだね。うむ、すっきりした(笑)