過干渉幻想

友人とはありがたいものである。生きた標本、と言っては悪いけど、「はたしてオレって価値あったっけ?」と悩んでいる時に、ほぼ確実に「うんうん、あるある」と証言してくれる存在である。一応価値はあるんだろと推定できるけども、尻が座ってない時に友情コールを送られるとすわと安心する。
しかしこの頃はさらにいろんなことを考える。例えば集団の中での自分の立ち位置とか、相手に対して自分は何かしているんだろうかなどということ。今まで、自分の筋は通してきたけど、あんまり他人の意向は気にしなかったため(爆)、わりとそういうところが音痴である。手を抜いている分、違うところでちょっと苦労したりもする。
何かうまく行かない時に、自分を疑ってみるという思考方法はあんまり正しくない気もするものの、まあたまには疑ってみてもいい。こういう問いにはしばしば答えがなかったり時間の無駄だったりするものだけど、何か答えに近いものが出れば幸いである。
じゃあ、なんか価値があるのかと問うと、これがよくわからない。わりと乱雑でぶっきらぼうなように思う。しかも気まぐれでいい加減…。ヤバイ(笑) そうなのか。でも面倒くさいし…。嗚呼(笑)
まあよくわからないだろうなぁ。うーむ。多分、不定形なのだろう。だとすると、それなりに人にわかりやすいようにデザインしてもいいのかもしれない。あまり縛られないレベルで…。まあ基本的には自分の実情に即してないと意味ないわけだけど。

とにかくインケツ引いてる時には、いろいろと不調になる。過干渉幻想による認識の書き換え合戦になって、他人に対して冷たくなる。結局のところ、それは普通に常識的に動いているわけなのだけど。夜の枯れススキを怖がるがごとく、膾を吹いてしまう。反射神経という奴は実に原始的な判断基準しか持ってないので、その都度、思考で認識を書き換えないとならない。面倒くさい限りだ。人という乗り物はちょっと弱すぎるのではないか。

それにしても友人はありがたい。しかも美人で知的な友人はいい。あの時は彼女がいたのでスルーしたのだけど、やっぱりきちんと口説いておくべきだった(笑) まあ今後の要チェック欄の前のほうに回しておこう。1mgの愛情で、ほぼ全てを払拭できたのだから。
実に安上がりな男であるな(笑)