厳しいのは人の間にいること

さて、初日のお仕事。職場の雰囲気はわりといいが、どうやらマック系の厳しい匂いがプーンと(笑) 私は生まれつきB型的個人主義なのでこういう体育会系のノリとは相性劇悪なのである。めっちゃムカつくのである。
…しかし、今の自分のこの体たらく・ダメっぷり、やはり修正するのはこのノリしかないのではなかろうか。幸い、酷い失恋ショックの後で心の防護壁が崩壊している。私はこういう時ほどなぜか人に好かれるのである。要するに弱い人を、一般人は好きになるらしい。ってことは弱いことが強いということである。


まあ実は、それはうすうす知っていた。問題はそんな弱い姿ではとても恐ろしくて人に向かっていけない自分、砕けて入っていけない自分なのである。適当に茶化して当たらず触らず…という感じになるのだろう。
でもそれではやはりダメなのだろう。人の間にいることにはならない。人の間にいないことには、ある種の戦いに勝てない。
そして礼儀というのは、他人同士の思いやり合いということだから、努力せざるを得ない。人の間にいるということとはなんと厳しいことだろう。まあ一般人はそんなのカンタンなのだけど、私のような人間にはつらい。多分、何かを思い出すのだろう。心を開いて地獄に突き落とされた時のこととか。それを完全にかつ連続的に制御するには、途方もない努力が要る。ゴキブリを手づかみした方がずっと楽だ。…というか意志で制御できないものなので、何か途方もない強い触媒がないとダメなのかも。はぐれて性格の悪くなった猫のようになつかない。


でもそれを乗り越えれば、普通の人間になり、普通の恋もできるだろう。でもそれって幸せなのかな。傷物同士ではぐれていた方がいいような気がするし。
でもまあこの際だから、うまく弱く固着化できるように頑張ってみようか。幸せは大体一方向に固まるというし。
友達でも作って…。
それでも心の穴がボカリスエット。
年下の人間に顎で使われようが、トイレ掃除しようが、そんなことはなんでもない。
本当に辛いことに比べれば、そんなのは孫の手で背中をかくような快いものだ。