愛されると勘違いする理由

優越したりとか、何か優れたことをやるとかいうのはあまり愛される条件ではないかもしれない。愛されない状態にある時は、自分に非を求めるけど、好きになるのに理由はないように、好きになられないのにも理由がないということかもしれない。
結局、努力と愛されるということは交わらないのかもしれない。愛されるかどうかは運に近いものがあるような気がする。どんなに努力したって愛されないものは愛されない。相関性がないのかもしれない。
ふと自分を見つめ返しても、優越しようとか、優れた人になろうといつも思ってたが、結局は愛されたいがためというような気もする。でもそういう努力がむなしいものに思える昨今、さてどうしたものかと思う。それにいろいろやってみて、自分は別に取るに足らない存在だと思う。これといって大した能力もないし、いいところとてあるかどうか。
でもまあ愛されることはなくとも、愛することはできる。
無理な努力はせず、自分の好きなことをやって、自分の好きな人を愛していようと思う。