小さな三角形

心の奥にできた小さな三角形。これがどうも厄介だ。
もう傍観者でいることをほとんど決めていたのに、そんなものがあるとどうもしっくりこない。
遅すぎたし、終わってからわかっても意味ない、と思う。
電車はもう出た後なのに切符だけ渡されてもね。
時間は逆戻りしない。決して。わかりすぎてるほどわかっている。
その悲惨さも、悲しみも。
なぜ肝心な時に戦わせてくれなかったのかと。
遅いって。
ガラスの破片が傷口にびっしりと入り込んでいる。
何かいい理論を探さないとな。
例えば負けたとあきらめた時がほんとに負けだとか。
うーん。違う気がする。
今さら意味をもらっても…。
失地回復も名誉挽回も敗者復活も無い。
ということは、類似地を探すしかないか。0%ではないだろう、きっと。
多分富んだ土地もあるだろう。
まだ虚無感があるということは、何か心の中に隠してる部分があるのかもしれない。
全てに納得の道があるわけじゃないのだろうけど。
多分無防備で戦わねばらなかった事に悲嘆してるんだろうな。思いだけはあるのに。
せめて力を出し切れたらと。知らない事の哀しさよ。
人はある条件下では自分を大事にする事が出来ない。
絶対に。
理論では無理だったのだ。ふむむう。
そして捨てたくないんだろうな。そもそも人は砂漠で水を捨てられるだろうか。
例えば死を覚悟するとか。でも肉体的に死ぬのは多分、精神的に死にたくないからじゃなかろうか。
だとしたらそれもできない相談か。
味の無くなったガムの切れ端をいつまでも未練がましく口から出せないでいるのは、あの絶対的虚無に相対したくないからかもしれない。虚しさというのはほんとに人を弱らせるしなぁ。
まあこの無気力さというのは精神的なカサブタであるかもしれない、か。
颯爽と戦いたいものだ。