ちょっとしたズレ

あんまり気の合わない人とも努力すれば話できるけど、そういうトレーニングをしすぎると、特に気を使わないでいい人に対してまで、社会化システムが働いてしまい、ちょっとギクシャクしてしまうことがある。素で行っていい人なのに。
図で書いてみると、

私−<75Ω-300Ω変換機>−気の合わない人

というシステムで稼動してると、ついつい、

私−<75Ω-300Ω変換機>−気の合う人

という風にシステムを引きずってしまい、壁越しに話をしているような感じになる。ズレる。実はダイレクトで

私<75Ω>-<75Ω>気の合う人

という繋がりが可能なんだけど。ただ、

私−気の合わない人

という風に直結してしまうといろいろ問題が生じるので、変換機を介したシステムはやはり必要なのである。これは開いたり閉じたりするのか、それとも恒久的な相互換システムを作った方がいいのか。
多分、変換機のところをなるべく自分の素に近い形にして、社会的に差し障り無い範囲に収めるのがいいと思うのである。

あと、あるがままというのはあまり美しくないので、自制とか規律というものである程度ケーシングしておく必要があると思う。そしてその規制は他人に対するカラとしても使えるのでなかなか得であると思う。
カラの強さで自分を守らないと、不安が多くなって、自由になれないのだと思う。

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