王の陥落

私は「自分がこの世に使わされたのは何か重要な使命があるんだ」と考えてしまう方で、そのためには、自分はあんまりつまらないことをしてはならないと思っていた。まあそもそも「してはならない」とか「せねばならない」という言葉使いは”専制君主のねばならない”とよく言われるとおり、自分への過度の強制であって、ひたすら精神の消耗を助長するものにすぎないのだが。
とにかく、うすうす自分には使命なんか無いし、誰もそれを期待してないことはわかっている。世の中にとって重要な存在でもない。重要な存在と思いたいのは、きちんと誰かに承認されて存在してないから、まあしょうがなく便宜的に自分は重要なんだということで存在を納得させているだけである。
そんなわけで、自分が重要な存在ではないと気づくと、すごくガッカリするわけだけど、それはいい面もあって、いい人ぶらなくて済むし、義務からは解放されるしでかなり楽になる。あと、人は何らかの責務から解放された場合、取る行動には二つのパータンがあって、一つは「自分の意志を通しすぎる」パターン、もう一つは「徹底的に怠ける」パターンである。つまり積極的解放と消極的解放である。
私はもちろん後者なので(笑)、義務がなくなったと知ると、ゴロゴロ寝っ転がって、ひたすらゲームをするなんてことになる。もしかしたら無理やりにでも王様でいた方がよかったのかもしれないなどとも思うが。
ともかく、解放された場合、生きるための動機というのは、「社会に対する王様の義務」から「他者への愛情」という風に切り替わるのが自然であると思う。もう王様のように他人へ何かを強要する必要も無い。そもそも普通の人は自分が王様だなんてちっとも思ってないから、王様にそういうギラギラした強要を見せつけられると逃げてしまったりする。哀れだ。
そんなわけで私はもう王位を返上し、平民になることにする。存在しない民のために、誰も求めていない努力をするのはウンザリだ。
やはりのんびりと寝っ転がっていよう。

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