斬ろうとして斬れず

ここしばらく、ある女の子と付き合っていたのだけど、別れることにした。付き合いはわりかしうまくいっており、結婚の文字もチラチラ見えていたりもしたんだけど、どうしても性格で合わないところがあり、また彼女は私より年上なので早く結論を出してあげようと思って斬りに行った。
従来、私は別れ際は一刀両断にする。中途半端な情けはかえって仇をなすし、辻斬りのように切り捨てて走り逃げていくのが一番いい。

そして斬った。でも血しぶきが思いっきり飛んできた。

そもそも彼女は神経質で、ほのぼの派の私はいつも疲れる感じだった。彼女が努力するのはわかるんだけど、それは私にとって大部分は苦痛であり。そしてまた時には彼女はヒステリー気味だった。感情の触れ幅が大きいというか。我が強すぎた。言ってしまえば自己中だった。小さなところでは、彼女は尾崎豊が嫌いだった。食べ物の趣味が私と正反対だった。彼女は音楽を聞かなかった。私が興味を持つことに彼女は持たなかった。彼女はあまり自分というものがなかった。
そして彼女は過去のいろいろな不幸な体験を負っていた。
けれども、過去の不幸な体験は新しくつきあう人に対して負わせるべきではない。私は痛くない腹を探られて不快になった。
でも彼女の哀しみは理解できた。去られてしまった悲しみ。裏切られた辛さ。孤独。不安。だがわかっていても私にはやはり苦痛だった。それは自分自身で解決すべき問題だった。私とて一人で解決してきた。それはマナーの問題というべきものであり。

しかし血しぶきは飛んできた。必殺の一刀を送り込んだにも関わらず彼女は死ななかった。彼女は私と別れたら死ぬと言っていた。でも死ねと思った。死ぬのは己の弱さ。私は多分、その死すら乗り越えていける。けれど自分を愛している人間を斬る事のなんと辛いことか。それは死ねというのと同じだった。彼女はこれから変わるといった。でもそのセリフを言う時にはもう全て終わっているのだ。彼女はこうなる前に気づくべきだったし、また、変わらないでその自分に見合った相手を探すのがいいとも言える。もう遅いんだよ。もう終わってしまったものは・・。でも思い出は走馬灯のように。彼女とは泊り合っていたし、結婚しているようなものだった。そこには安定があった。孤独に震えないですむ暖かさがあった。生活があった。しゃべりたい時にしゃべりかけられる相手がいた。彼女によって私は存在することができていた。彼女と別れることによってそれを失うだろう。また孤独に戻るだろう。一人で、のたれ死ぬかもしれない。けれど、私は私を曲げるわけにはいかなかった。我慢する幸せはいつか終わる。お互いの我慢の上には何も築けない。好きだとしても結婚は出来ない。安逸のために魂を売ることが出来ない。私の左側は本当に愛する人のために開けておくべきだ。・・多分あらわれないだろうけど。

けれど。彼女は一人でやっていけるだろうか。辛い目にあわないだろうか。でも別れるということはそうやって心配する資格さえ無くすことだ、多分。情が移っていた。身体も馴染んでいた。けれど。君じゃなかった。

罪悪感で死にたくなった。好きな人と別れなければならない辛さを私はイヤというほど知っている。その辛い感情を自らの手で味あわせないといけないのだ。しかし、ここで斬れないと、将来的にまた斬ることになるし、二回も斬るのは嫌だ。また同じ苦しみを味わうのだ。ふられた方が遥かに楽だ。

彼女は「高橋さんと幸せになりたかった。一緒にいたかったよぅ・・」と激しく泣いた。もう斬れなかった。とどめを刺せなかった。道端で鳴く子猫を踏み潰すような罪悪感。吐きそうだった。彼女は別れ際にまぶしそうに笑って去るという芸当も知らないくらい無知だった。そういうところはやはり自己中だ。でもそういうバカさを愛してもいた。辛かった。

結局、最後までは斬れなかった。トドメを刺せなかった。弱くなったものだ。
今度また会うことになるだろう。再び斬らなければならない。私には私の考えだけで別れを告げる権利がある。けれど、私はお人好しなんだし、人の感情には必要以上に感応してしまうし、理性だけではとても強くはなれない。
なんでこう辛いことが多いんだろうか。
いいことというのはやってくるとは限らないけど、悪いことというのは確実に定期的にやってくる気がする。
ともかく、こんどこそ鬼の一刀で斬り捨てよう。その一刀で斬られるのは自分自身でもあるのだけども。
必要以上に感情移入するのは私の悪い癖だ。そんなのは傲りでしかない。
私は多分、斬りながら、心の中で彼女に「頑張れ!」というだろう。
失いながら。



それにしても寒い。夏だというのに。つなぐ手がない。

日記才人投票