同情心

人が動物と違う点の一つは、同情することができるということである。相手の立場にたって物を感じること。ただ、これは過ぎると返って良くないこともある。
自然界の者達は、シンプルに自分のためである。人はもういらないという気持ちと相手が可哀想という気持ちの二重感情を持つからジレンマに陥る。してみればこれは最も人間的な悩みということになるかもしれないが・・。
しかし、私は同情心のために失敗した例をたくさん見てきた。ウチの親もそうであるし、友達でも同情心のあまりかえって事態を悪くした例も数ある。結局、同情心の正体は自分のジレンマからの解放なのである。自分が逃げたいだけ。その場しのぎの麻薬。筋に沿わぬ行動はお互いのためにならない。過つことは人間らしいといえるが、そのツケは一生分の後悔である。誰かに愚痴りつづける人生である。その時間のトータルを考えると、同情心に流されることはやはり不幸だ。


年を取ると、時間の使い方がうまくなる。こんな時、私は静かに待つ。そういう一時的な感情は眠るたびにさめていくものだ。同情心は薄れ、新たなトキメキ感を持つ気持ちに変わる。そういう点では、人は動物だ。そして「人の幸せはまず自分が幸せになってから考えろ」というのは私の人生訓である。自分の我慢の上の幸せなど有り得ない。恋愛にはトキメキが必要だ。恋愛にはドキドキ感が必要だ。同情は相手にとって失礼とかいい子ちゃんぶるつもりもあまりない。要は自分なのだ。自分がやりたいことをやり、なおかつそれでいて相手も幸せ。それが理想。
我慢したら俺の魂は死ぬ。


俺が守り通したものがどんなものなのか、これからも見ていこう。

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