人と人の間の壁

養老孟司の「バカの壁」がベストセラーになってるけど、個人と個人の考え方の差というのはかなり大きいんだなと思う。某所で「日本は核兵器を配備すべき」と書いたら、とんでもなくバッシングされて驚いた。まあ書き方もわるかったんだけど、「思い込み」というのは凄く強いもんだなと。巨人の星って感じである。死の商人みたいに言われて凹んだ(笑)
でも自分自身、思い込みが強い方なので、なるほど傍から見たら、私はこんな風なんだと気づくいい機会でもあった。
思い込みがどこから出てくるのかと考えてみると、1つは「対話しない」ということに原因があると思う。私も孤独が好きなので、独善的になってしまうこともあるのだろう。しかし、対話するということで、自分では思いもつかなかった新しい理論について考慮することができたり、いろんな意見の人がいるんだ、という風に理解できる。教育におけるディベートの必要性は言われて久しいが、今の学校教育の現場では実行されているのだろうか?
思い込みのもう1つの原因は「想像しない」ということだろう。核=ダメ、絶対ダメという思考停止は強烈である。トラウマ的に日本人に刻み込まれているのだと思う。でも核を持つことについて考えることは必要なのだと思う。その結果持たないならそれでいいし、結局そばにいるアメリカの核で守られているということに気づくこともできる。他人の血で守られていると言ってもいい。自分さえよければそれでいいのか?という問いかけは当然出てくると思う。そういうことを考えるのはしんどいことだし、考えなくても生きていけるんだけど、文化的な人間を目指すならしんどくても極限の状態について考えておくべきだろう。自分の生活に余裕ができた時にでも。
あと、人と人との壁を取り除く時、言葉というのは大事なんだなと思った。対話する時はできるだけ誤解をさける表現を使うこと。自分ではわかってる事柄についても一応説明しておくこと。相手の言葉を誤解している可能性を考えること。考え方が違っても攻撃的にならないこと。

そんなわけでそれぞれに思い込みがあるものだ、ということを多くの人が理解していれば、結構みんな生きやすくなるし、コミュニケーションもしやすくなるのだと思う。
誤解の壁が壊れた時の開放感って結構気持ちいい。

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