3センチと志

昨日、久しぶりに元いた会社の友達と電話で話した。電話の中の彼は疲れていた。「高橋、お前はなんでそんなに元気なんだよ」と彼は受話器の中で苦笑していた。
「いやー、まあ好き勝手やってるからね(笑)」
と笑いながら答える。貧乏ながらも楽しい我が家だ。でもちょっと気になって聞いてみた。
「でもさあ、ずっと勤めてるわけだから給料も上がったろ? いくらもらってんの?」
「ああ、ボーナスはぼちぼち上がったかなぁ。300万ほど」
「!!!」
300万だってぇ!驚愕である。彼の方が年上だし、大学院も出てるからもらえるのはわかるけど、オレも黙った勤めていたら200万くらいはもらえたんだろうと愕然とする。いかに自分の好きなことをやっているとはいえ赤貧である。金が全てじゃないなんてきれいには言えないのである。
おいおい、300万かよ。なるほど、学歴というのは確かに大事だ。のんびり働いてるだけで自然と給料は上昇し、厚生年金なんて屁でもないのだ。私は世の中を知らなすぎた。
その札束3センチは重かった。どんな理想や夢もその3センチにはかなわないように見えた。毎年もらえる3センチで、しかも増えて行くのだ。そこが例え牢獄としても、報酬はデカイ。わずか3万円とかの支払いに苦しむこともある私にとって、その3センチは黄金郷だった。そう、いつかこんな日が来ると思っていた。「バカだなぁ、お前。黙って勤めていればやがて大金が転がり込んできたのに」と言われる日が。子供の時から貧乏暮らしの私は金のないことがいかにみじめなことか知っている。金のあることが(うわべだけでも)いかに尊敬されることかも知っている。
それは掛け値無しのハードパンチだった。
「どうした、高橋、声から元気がなくなったぞ」
「いや、煙草の煙が目にしみただけさ」
混ぜっ返して笑うしかなかった。そうか、3センチももらっているのか。キャバクラでも海外旅行でも行き放題。それは夢のような金だ。
ちくしょう。
しかしやがてフツフツと闘志が湧いてきた。金がないと苦しむ時の共通した答え。それは「金を稼ぐしかない」ということだ。3センチないのなら、3センチ稼ぐことでしかその苦しみからは逃れられない。いろんな言い逃れの代案を立てるよりもストレートにそこに向かうことを私は好む。
やってやろうじゃねえか。
しかしいきなり金を稼ぐ方法は思いつかない。
・・・。とりあえず明日は宝くじ買いに行くか?
結局それなのか、俺は(笑)
でもまあ、来年は余剰の3センチを稼ぎ出すために頑張ろう。成り上がってやる!

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