傍観するは逃げるに同じ

メリークリスマス〜(^^)
良い夜は過ごせたでしょうか? 私はいい夜でしたよー。それでも最後はやはり八木亜紀子ちゃんにお世話になってしまうわけですが。しかし、38歳になっても結婚しても、あの、女らしく柔らかくてそれでいててきぱきとした振る舞いというのは衰えることがないですね。カワイイなぁ。ああいう女性と結婚すると幸せでしょうね(夢想)



自分がちょっと悲惨な状況に陥った時、自分から離れて、客観的に自分を傍観してしまう時があります。自分をお空の上から見てしまうというか。そうすることによって、自分の痛みから離れて、他人事のように感じダメージを軽減する。そういう技が得意です。
でもそれって、あんまりよくないことかもと最近思います。自分の問題から逃げているし、また、そういうものと戦わないと、自分というものが構成されないと思うからです。傍観者は押されるだけで、人生に対して手出しできないといった感じです。
傍観者になる資質というのはどうしようもないジレンマから逃避するために形成されるのだと思います。例えば、親からさんざん虐待されたりすると、「愛されるはずなのになぜかボコボコ」→「あれはボク(私)じゃない」→「殴られている人は誰なんだろう?」と脳が苦しい選択をして第三者的な自分を生み出してしまうんだと思います。
まあでも、そうなると、自分と傍観者という人格二人が発生するわけで、統一性が取れず、辛いことがあったらすぐ傍観者の方に流れてしまいがちです。それでますます社会から外れていく。
よって傍観するのではなく、その渦中に身を置いて弱くても力を振るってみるというのがいいのだと思います。ある程度力がつけば自分で人生を変えていけるし、友達もできてくるし。
傍観することで人格崩壊を防げた時代もあったんですが、いつまでも傍観しててもダメかなと。変な話ですが、ブーツ・オン・ザ・グラウンドという感じです。
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