収縮と弛緩、土台と時間

私にとってこの日記を書くのは収縮であるなと気づいた。人は一般的に収縮と弛緩を繰り返す。仕事と休憩、緊張と緩和。呼吸もそうじゃないかと思う。収縮・収縮・収縮じゃダメで、弛緩・弛緩・弛緩でも良くない。収縮・弛緩・収縮・弛緩というリズムがいいんだと思う。
手塚治虫の「ブッダ」によるとオシャカ様(こう書くと壊れた車みたいだけど(笑))は弓を見て「中庸が良い」と悟ったという。弦が張りすぎてもダメだし、緩みすぎてもダメ。なるほど、こういう感じか、と思った。ただ、中庸に留まるというのは難しいので、バランス的に言えばヤジロベエのように振り子、適度な収縮と弛緩を繰り返すのがいいんではないかと思った。Hの時でも、ずっと同じリズムだと飽きるし、三浅一深とかいろいろと変化をつけて、最後だけは繰り返して・・・ってなんですぐこういう話になるんだオレは(笑)
ともかく、収縮・収縮・収縮じゃ、細い精神が切れるし、弛緩・弛緩・弛緩じゃ自分が誰だかわからなくなってしまう。収縮と弛緩をうまく繰り返すことによってメリハリがつき、健康ライフが送れるんじゃないかと思う。
収縮のために必要なのは土台である。精神を集中させるような寄り代(よりしろ)。弛緩のために必要なのは拘束されない時間である。
呼吸ごとに収縮と弛緩を繰り返せるようになればわりといいんじゃないかと思う。

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