さらばAptiva / 観念論ほか

長年使っていたアプティバちゃんをついに引退させた。時代の流れについていけず、ゴミ置き場にひっそりと佇む彼。そのまま出すとリサイクル法にひっかかるのでHDDとフロッピードライブは流用してカラだけにして送り出した。クロックアップしたりしていろいろパソコンの構造を教えてくれた彼。思えば買った時からいきなり初期不良だったが(笑) 手のかかる子ほどカワイイという部分もあったなぁ。長い間ありがとう。いくつかの部品はまだまだ他のPCの中で生きているのでそんなに淋しくないよね。



観念というのは不安定なもので、形がないから留めておくのが難しい。あるステージにいるな、と感じることはできるが、あめステージに行こう、とすることは無理である。偶像崇拝するのは簡単なことだが、それは観念ではなく、偶像に依存するためあまり意味をなさない。例えば昨日の日記は我が意を得たりと思ったのだが、この感触を覚えていられるのはせいぜい10日くらいだろう。ここでホールドしたいんだけど、上っ面では無理ということか。それがどのようにもたらされたかというのが大事なんだろうか。こういう風に書いても後で見直した時に「私はいったい何を考えていたんだろう」と思うこともあるし、難しいなぁ。

集団の中での自分の位置を感じる自分というのはなんなのだろう。多分、集団の中で自分に価値があると思う感触は必ずしも一定ではない。ある日は自分はつまらないと思うし、ある日は立派だと感じる。しかし、それが客観的に位置付けられる以上、自分の客観的価値というのはあまり変動しないはずである。その正確性をいかに獲得するかということが課題となるだろう。

自分がなんとなく馬鹿だなぁと思ってたけど、どういう風に馬鹿なんだろうなといろいろ考えてみた。結果、物を言ったり書いたりする前に何も考えないのが馬鹿なんだろうと思う。思ったことをすぐ言うというのはちょっと馬鹿だろう。もちろん、失礼なことや非常識なことにはある程度のフィルターはかかるけど、もうちょっと考えてから物を言ってもいいなぁと最近思う。タメがないというか。食べ物でもちょっとだけ噛んですぐに飲み込んでしまうけど、もうちょっとよく噛んでから飲み込む、みたいな。

今日も白波がうまいなぁ。寒い時は焼酎のお湯割り♪
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