気ぃつけて帰ってな

江戸時代のタクアンはかなり固かったそうである。子供の歯ではとても噛み切れなかってそうで・・・。
「タクアンを噛んでくれて、ごはんにのっけてくれたんだ。その時のあんちゃんのあったかい唾の味が忘れられなくてねえ・・」
とは鬼平犯科帳に出てくる一コマ。盗賊になってしまった弟が兄を思い出すシーンである。兄弟の絆がよく現れてるなあと思った。



先日、帰省した時、久々に弟に会ったら彼女ができていた。よかったなぁとホッとする。昔から引き篭もりがちで将来を心配していたのだけど、仕事もしてるし、途切れ途切れながらも家に金を入れているそうで、肩の荷を下ろした思い。よくぞここまで、と思う。
弟は昔、母に虐待されていた。私もそうだったけど、弟に対してはさらに酷かったらしい。当時、私は気づかなかったのだけど、後に母が白状したので知っている。もし当時、気づいていたら、母を殴り殺していたに違いない。今では半分ボケて知らん顔している母だが、白状して許されている気分になっているようだ。このボケが、と今でもひそかに思っている。
弟がひどく虐待された原因は、「父に似てるから」ということだったらしい。「父に似てるから」とか「母に似てるから」で片方に極端に可愛がられるケースは聞くけど、似てるから虐待するなんてあんまりだ。そうやって虐められた弟は、根暗になって人との接触もうまくいかず、当然の如く学校も不登校、そしてヒッキー(引き篭もり)となった。
遊ぶ相手は私1人だった。しかし、この出来の悪い兄、女に振られてそれどころではなかったらしい。辛い弟の面倒を見てやることができなかった。弟の気持ちもあまり感じてやることができなかった。弟のことは好きだったけど、かばってやることもできなかったと思う。弟は1人でずいぶんと苦労したに違いない。
弟は学校でも虐められ、階段から突き落とされて両足を捻挫した。母は精神病院に入院し、家に金はなかった。父は愛人を作って家によりつかず、借金取りが押し寄せた。弟は毎日部屋でTVゲーム。私ができることはそんなになかった。
しばらくの後、両親は離婚し、家を処分し、借金を整理して小康状態となった。弟のことはいつも気にしていたが、東京にいる自分も必死で、やはり何もしてやることができなかった。はたして、弟は自分が愛されていると感じているのかどうか。私は心配だった。
でも弟は自分で頑張ったようだ。部屋を自力で出て、アルバイトし、世間に入っていった。いい友達もいたようだ。弟の美点は、狷介な兄と違って素直なところだった。私は辛い時には「辛くなんてないよ、ケッ。オレは必ず世界を征服してみせる」と言っていたが、弟は素直に「辛いよ、お兄ちゃん」と言っていた。次男の要領よさとでも言おうか、そういうのはわりと幸いしてたみたいである。

帰省して滞在し、東京へと戻る時には、弟はいつも部屋にこもっているのが常である。ヒッキーだった影響だろう。じゃあな頑張れよ、ぐらいこっちも言いたいのだけど、顔を合わせずに東京に戻るのである。
ところが今年、帰ろうとして玄関で靴を履いていると弟が見送りに顔を出した。何事かと思ったら、弟は言った。
「気ぃつけて帰ってな」

胸の真中が熱くなった。彼女ができて愛情が満ちたのか、それとも成長したのか。ついに人の事まで気遣うことができるようになったんだなぁ。そして兄弟でちゃんと絆があるのを確認した。そう、小さい頃、仲良く遊んだ。両親が怒鳴りあって包丁飛び交う中、別居した家に父親が攻めてきて窓ガラスを割り、ドアを蹴りまくる中、母の気が違って奇声を発しまくる中、守りあった。戦友のようなものだったかもしれない。ともかく、よくぞ生き抜いた。生きてりゃなんとかなるよな。

時は過ぎ。
父も母も、今では弟に「はやく孫の顔が見たい」と言っているという。いい気なものだ。逆に、今回帰省した時、私には一度たりとも「健、そろそろ結婚しないとダメなんじゃないの?」とは言わなかった。前はしつこかったのに。どうやら親は兄よりも弟に希望を託したようである。
てことは、ヒッキーだった弟よりも兄の方が既に人としてヤバイということか? そうだ、弟に彼女がいるのに兄がチョンガーなのはどうしたわけなのだ?非常に気まずいんじゃないのか?
弟よ、お兄ちゃんは辛いぞ。

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