黒の時代

「高橋君って勢いありすぎだよね。コワイ時もあるよ」
大学生のころ、バイト先で言われたことがある。とにかく機関銃のようにしゃべっていた時期があった。
「どうしてもっと落ち着かないの?」
とか
「クールにできないのね」
とか言われたこともある。
それは、やっぱり怖かったんだと思う。深刻な失恋をして、人に近づけなくなった。人と話すというとても簡単なことができなくなり、いつ相手に心を切られるのかとびくびくした。長い間人としゃべらなかったせいで、滑舌が極端にわるくなった。どもるようになった。声がかすれるようになった。
わずかに気が合う人がいても、2時間しゃべると脳が痺れて何も考えられなくなった。恐怖と戦うということと、自分がミスをしないということに全精力を集中したせいだと思う。神経がボロボロになっていた。
話している相手が実は物凄く怒っているように思えた。自分が何か悪いことをしているような気がした。
そして記憶が怪しくなった。いつもテンションを保てなくなった。必要なタイミングで友達に相槌をうてなくなった。
その時、思った。受身でいてはやられる。自分から攻めなくちゃ、と。
そして私は勢いよくしゃべるようになった。しゃべっている間は恐怖を忘れられた。人々が気軽に楽しく交わす会話が自分には地獄だった。恐怖と戦うために全力だった。だから勢いがついた。その恐怖はほんとうに恐ろしいもので、とても人間には耐えられるようなものではなかった。吐き気を伴う恐怖。恐怖と戦わなきゃと思って無理して出た飲み会で失神したり。
そんな時代は2年ほど続いた。



昨日、綿谷りさの「蹴りたい背中」を読んでたら、そんな自分の黒の時代を思い出した。ああ、あんなのはもうたくさんだな、と思う。十代というのは魔物の季節である。誰かが言ってたけど、十代はシュッと走り抜けてしまえばさっさと片付くが、一度橋の下の深みに落ちるととんでもなく落下するという。底なし井戸みたいに。
でもまあそんなのは長く続かなくて、20代になったらまた展開は違う。自由度が増していろんな人に会うし、自分に力もついてくる。
成長した綿谷りさがどんなものを書いていくのか、興味があるなぁ。

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