もったいないオバケ

私の中にはもったいないオバケがたくさん住んでいる。「あれをしたかった」「これをしたかった」「ああしとけばよかった」みたいな過去の残念ないろいろな出来事を考えると悔しくて寝込みそうになる。3つくらい同時に思い出すと、もう動けなくなってしまう。
特に全力を尽くしたのに無理だったとか、時間がなかったとか、正しい行動をしたのに足りないところがあったとなると本当に残念だ。自分という固体に限界があるのが残念だし、人生が短すぎたり1日が24時間しかないのもほとほと残念である。やりたいことはたくさんあるのに、実行できるのは少し。微々たるもの。1/3くらいしかせいぜいできないし、実行できないで死んでいく企画などを考えるとほんとに悔しい。もったいなすぎる。オバケづくしなのである。
まあ、誰しもそうなのかもしれないけれど、心行くまで練りこんで物事を実行できたらなぁと思う。メールを全部しっかり読んで心をこめて返事を書くとか。自分の事務処理能力の無さが哀しい。そうやって友達を失っていくのが哀しい。自分がバカすぎることが哀しい。バカなせいで失ってしまった大切な人々が惜しい。きちんと躾てくれなかった親を恨む。どうしてもどうしてもしたかったことがあったのに。絶対に必要なものがあったのに。それらはみな指先をかすめ、真逆さまに落ちていった。二度と絶対に戻らないものだ、それは。
そんなもったいないオバケがぎしぎしとうごめくたくさんの墓標を抱え、足が重くなっている。死んだ子の年を数えても仕方ないのに。未練だなと思う。できることには限界がある。けれど。
とりあえず、ダメになったものはダメだとあきらめてみるか。「もしかしたら」なんて思ってるから、もったいないオバケが出るのかもしれない。もうダメダメ。全部終了したこと。いくら嘆いても惜しんでもそれは戻らないし、やりなすこともできない。もう全部ダメになってしまったんだから。あきらめるしかない。でないと前に進めない。



とりあえず、相手を信じてみよう。信じられない原因は、信じた時に予想される裏切りの傷の衝撃である。そんな時、思ってみる。
オレは間違ってないんだ、と。他人を信じられないということは、自分を信じられないということだ。
自分を信じるということは自分の定めた規則に準拠するということ。自分を信じられないということは、自分で規則を定めていないということだ。
まだまだ道は遠いな。
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