九回裏

ふぃー、ようやく追いついてきたよ。今日・明日で完全に追いつきたいけどちょっと無理かなぁ。この仕事のたまりっぷり!確定申告もあるし、まだまだ続くイバラの道。一つ一つは楽しい仕事なんだけど、こうも溜まると気持ち悪くなってくる。まあ、パチスロ行ったりゲームにハマったりしてる自分が悪いんですが、なんせ働いてばかりだと気骨が休まる暇もないし、そもそも遊ぶために働いてるので本末転倒になってはならぬという気持ちもあって遊ぶのはしょうがない。でも先週はお腹一杯遊んだので今週は馬車馬の如く働くのだ。うおー!
でもそうなってくると、プライベート関係が微妙になるんだよねぇ。仕事してる分には自分の気持ちはどうだっていいんだけど、人間関係は一応自分を安定させないとマズイのでキリキリとねじを巻かないとダメだし。孤独で長持ちするタイプの私としては、1ヶ月くらい誰ともしゃべらなくったって平気なんだけど、相手はそうは行かない。今週末も、恋人と別れたばかりの友達の愚痴を聞いてあげないといけないし、就職相談に乗ってやらぬとダメだし、その他ひきこもごも。依存されやすい体質なんだろうか(笑) そのわりにはちっとも私は他人に対して依存したいと思わない。なんとなく「誰も助けてはくれないんだ」という信念が深々と焼き付けられており、実際1人でなんでもやるようになってしまったので、なんか損をしている気がする。実際には助けてくれる人もいるし、時には甘えてみたいとも思うのだが、そういうのが下手である。
それでも私は人が好きで、何かとつきあいたいなとも思うんだけど。



グランブルーという映画を見た。例のジャックマイヨールのやつ。友達はこの映画がいい、泣ける、感動するというのだが、単なる根暗な映画だと思った。要するに、イルカに引き篭もってるだけなんじゃないの?と思ってしまった。NYに住む女がジャックに惚れて近寄っていくけど、あんまりかまわないで、イルカのところに逃げ込む。私がパチスロに逃げ込むのにちょっと似てるなとは思ったけど(笑) わからない相手から逃げて、わかる相手のところに行くって感じか。 
でもこの恋人役の演技はなかなかよかった。一般的健康な人物として描かれており、ジャックと対照的。ジャンレノも良くて、こちらは家族愛がうまく表現されていた。「やっぱり海の中がいい」というところはなかなか感慨深かったけども・・・。あれ?やっぱりいい映画なのか?(笑)
でもなんとなく寂しい感じの映画でしたね。フランス人って感傷的なのかな。

春が近づいてくると、雪解けと共にプクプクと昔の記憶が蘇ってくる。過去の断片が唐突に沸いてきたり。ああ、あれは辛かったよねぇみたいな。私はギネスブックに申請できるくらいイヤな思い出をたくさん持っているので、処理に大忙しである。その時点では辛すぎるので、後回しにしたり、なかったことにして、記憶のリンボに寄せておくのだけど、そうした未処理案件が、元気になりつつある時にそっと浮いてくる。そういうのは辛いんだけど、ほんとに落ち込んでる時に思い出すと死にたくなるので、元気な時に少しずつ処理していくのがいい。ほんとはそれが起こった瞬間に処理しておけば繰り返さないとも思うんだけど、やはり気が小さいので耐えられないのか、「なかったこと」にしてしまう。そういうのが後でプクプクと浮いてくるのである。
でもまあ最近、ようやく自分の生きるシステムみたいなのが確立されて来たので、そんなダメージを食らうことも少なくなってきた。
対人関係において次のものが成立していれば、そうまごつくこともない。

1.相手に対する信頼
2.自分の確固たる考え方
3.経験をつみ、試練を経た受け答え方法
4.客観的に見た自分のポジション
5.常識的な振る舞い

ってところか。なんていうか、1人では達成できないファクターも多いのである。相手に対する信頼は恒常的継続的な良い体験によってしかもたらされないし、経験も積んでおかないと確たる自信は持てないだろう。また、自分の欲求とか姿勢なんかも確立してないと自分が定まらずにフラフラする。「自分はコレだ」というものを持ってないとあんまりうまくない。んで、受け答えというのはその人の傾向ではなくて、自分で設計制作するものであるから、それを晒して普遍性を問わねばならない。それでOKならあとは安心という寸法だ。
客観的に見た自分のホジションもなかなか難しい。特に長男長女系や一人っ子には理解しにくい概念だけど、平等さという観点から見れば、自分はそんなに偉くないし、また他人から大切に扱われるべきと思うのも驕りというか、鼻持ならない考え方となる。他人から見た自分なんてペーペーの路傍の石もいいとこ。大切さなんて微塵もない。そういうとこを理解しないとならない。常識的な振る舞いによってなんとか許容される、程度のものだろう。
まあこういった事どもは、幼少期に親が教育すべきことなんだけど、全然達成されていなかったりする。私もこれらは後天的に考えついたものなので、ちっとも身につかない(笑) こうなったら自分の子供を作って徹底的に教育するしかないだろう。残念ながら私はもうひねくれすぎているし、幸せになるチャンスはほとんどない。大人としての幸せはあっても子供としてのそれはもはや無理であろう。残念だけども。
現実を知るというのはわりと辛いものである。野球場に行ったら、もう試合は終わりですよと言われたような気持ち。バカだったために失くした人はもう戻らないのである。今さらバカじゃなくなったとしても。
でもまあこれから残された残り少ない時間にもしかしたらいいことがあるかもしれないし、自分の子供が出来たとしたら、そいつがなんかうまくやってくれればいいやという気持ちもある。父の仇を討ってくれ(笑)
しかし、失敗だらけの人生だったよなぁ。点差はデカイがせいぜい九回裏の攻撃で一矢報いるとしよう。

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