圧迫感情の出口

最近、根暗な心理ネタばかりを書いているが、こういうネタは書いてて楽しかったりする。文章を書くというのは私にとって自己療養行為であり、自分の内部をシコシコと掘っていく作業なので、その過程で何らかの抑圧とかわだかまりが解消されて気持ちいい。
何らかの理由で圧迫された感情が自己内に溜まる時、この圧力は耐えがたいものとなって体内で暴れまわる。それはまず最初に腹にストックされ、やがて脳に上る。腹が立って頭に来るという感じ。それで、この圧迫感情の出口は3つある。1つはその感情の起因する相手、2つ目は八つ当たり、3つ目は自分だ。
圧迫(怒り)は自分と他者との間に起こり、出口を求めてさまよう。普通、相手に対して怒りは発揮されるが、相手が強い場合(ヤクザとか)、或いは相手が大事な場合(好きな人とか親とか)は、出口として相手を選べない。すると残りの二つのどちらかに向かう。二つ目の八つ当たりはわりとよくあることだけど、そもそも友達がいない場合には八つ当たりできないし、友達がいたとしても八つ当たりすればどんどん減っていくわけで、これもまた難しい。そうなると最後に残された手段として自分が残る。何か解決できない感情がある場合、外側に対して何もできなければ、内側に向かうしかない。「自分が悪い」というのは万能の理屈である。しかし、万能であるがゆえに安易に使いやすく、それはやがて恐ろしい副作用を伴うのだ。
死にたいと考えることはいいとしても、本能の基準は生きることであるので、猛烈なギャップが生じる。それを回避するために、体は自動的に回避行動をとる。自我の拡散・消滅によって、意識化自体を減少させようとする。いわゆる鬱病っぽくなる。しかし、そういった長期の自我放棄はやがて本能の流出を促す。マグマのような本能は当然、自分を最優先するので噴火したら周りを傷つけまくる。これが精神分裂症ということになる。症状としては鬱病の方が軽く、鬱の段階で治療しておかないとヤバイ。いつまでも「自分が悪い」と思ってると、ろくなことにならないのだ。
自分が悪いと思ってると当然生きる気力は減るし、物事に対する興味も薄れる。長期でその状態に落ち込むと、もはや自分1人ではどうしようもなくなって、電気ショック療法とか、森田式とかいう規則正しい生活を行う療法、はては戸塚ヨット式のようなスパルタでしか治せなくなる。
去年末くらいに、かなり酷い状況に落ち込んでしまい、どうも出口がなくてしょうがなく自分側に放出し、酷い目にあったけど、ようやく復活した模様。まあ何回も通ってる道なのでわかってるんだけど、自分を見失ってる状態というのは辛い。そんな圧迫感情を作ってしまうのを避ければいいんだけど、世の中にはやむにやまれぬ事態というものもあるし。まあこの冬はいろいろと大変だったことよ。寝ても悪夢ばっかりだったなぁ。
今では気温も上がってきて、快い春眠に包まれている。昔、仲の良かった女の子のことなんぞを思い出しながら布団の中で微笑んだり。
日記の背景も春らしいやつに変えてみるかな。

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