故人の遠方より来るあり

東京に出てきた頃、私は大きな壁にぶつかっていた。それは会社の人々のつまらなさだった。かろうじて同期で入ったY君は素晴らしかったが、古参というか、そこにいた人々には辟易した。
大阪人が東京の人に関して感じる一般的な感情は「冷たい」「ノリが悪い」ということであって、まるで氷の牢獄に入れられている気がした。今から思えば、そこにいた人々は罪のない静かな田舎の人々だったが、私は財前五郎のように野望に燃えていたので、物凄くがっかりした。それなりの大学を出て一流企業に入り、生涯安定コースは確定していたが、自分のやりたいことはこんなことではなかったという思い激しく、日々やせ細っていった・・・というのは嘘で太っていった。私はストレスがかかると太る体質である(-_-;)
とにかくいくら画期的な案を出してもスルーされ、意に添わぬことをやらされる毎日。まあそこに至るまでには私らしく不運が重なったわけだが、腐ってしまい、どうしようもなく、ひたすらパチンコへと向かう日々だった。どうしようもなく孤独だった。
それでも2年ほど我慢していた時、学生時代の親友が東京に研修に来た。それは一ヶ月の滞在だったが、会った瞬間、自分の帰るべき所に帰ったという気が強くした。学生時代にはあまり感じなかったが、気の許せる人が身近にいるということがいかに大切かを思い知った。その一ヶ月は楽しかった。初めて東京が優しい色に見えた。
しかし、友人が去る日が来た。最後は電話だったが、あまりの寂しさに泣きそうになった。うるうるしていたと思う。その時思った。
「下らないと思ったことは、どんなことであれ我慢してはいけない」
と。
石の上にも3年とか、社会人は嫌なことも我慢しなけりゃイカンというけど、あれは嘘である。もちろん衣食に苦しめば辛いけど、魂の牢獄にいるよりはずっとマシだ。
私はそこがやはり牢獄だったと気づいた時、躊躇することなく、退職願いを出した。その結果部署がかわり、その時は辞めることはなかったが、随分状況は改善し、状況も良くなったのである。(数年後、やはり三行半を叩きつけて辞めるんだけど(笑))。
ん? 話が逸れたけど、その時のうれしさというのが今でもしみじみと思い出される。あの安心感、冷凍庫のような現実から救い出された暖かさとか。持つべきものは友達である。
昨日、その友達じゃないけど、別の友人から久々に電話がかかってきた。東京に来るという。その声を聞いていて、またその暖かさが蘇った。孤独が好きだのなんだの言ってても、やはり気の合う人なら一緒にいたいのだ。やっぱりそっちの方が健康的だ。
東京に定住している友達がいればずいぶんといいんだけども。ともかく状況を改善していかなきゃなぁ。あ、埼玉には良い友達になれそうな人が一人いるな。フフ。それにしても、いろいろまた会ってみるかな。

春になるといろいろと前向きになる自分の単純さにちょっと笑いつつも、友人達に感謝。愛してるぜ。

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