ホトケのよう

なんだかすっかり、仏心がついてしまった。甘々である。GWにしたHが思いのほか良かったらしい。なんかこれでもういいかな、とか思ってしまった。悪霊が立ち去った思い。
良く言えばすっきりしたし、悪く言えば張り合いがなくなったような。
最近、株とかをやってて金を儲けようとシャカリキになっていたけど、本当の幸せというものは金銀の上には非ず、やはり好きな女の子と心を通い合わせて寝てる時が一番だなあと思った。多分、金銭は不安をぬぐうという点では有効だけど、本質的な目的には、やはりならないものらしい。
それと。
少ない幸福には納得するものの、大きすぎる幸福には失う恐怖がつきまとう。負け戦に累々と屍を築いている私にとって、巨大な幸福追求の気持ちというのは薄いようだ。ほどほどに良ければ、まあ、それで良いわなと思ってしまう。延々と酷い目にあい続けると、死の淵が非常に安らかに見える。最後に一ついいことがあったし〜、なんてふと脱力してしまったり。
でも理論的にはまだまだ幸福追求の権利と余地があるのは良くわかっているので、戦い続けることは決定しているんだけど。
まあ、こういうホトケ的な心情というのは周期的に来るものであり、私はこれを「ドモホルンリンクル状態」と名づけている。あのしずくがポタポタ落ちてくるのを見てる状態。こういう時は気持ちを静かに放っておいて、体を鍛えたり、何か手に馴染むものを黙々とこなすのが良い。濁りが沈殿して水が澄むのをじっと待つ。その後、バックグラウンドとして何が出てくるのかはわからないけど、その時にはまた何かの衝動がセットされているはずである。一時的にホトケっぽくなってても、私の本質はイケイケなのでまたやる気になってくるだろう。そういう本質的なものを思う存分解き放ててこそ浮かぶ瀬もあれ、なんだけど。
なんていうか硬くなるのではなく、柔らかくなってこそ強いものが出てくるといった感じである。

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