引きコモラー / 挫折もまた良し

嗚呼、楽しき引きこもり生活。ふと思ったんだけど、引きコモラーって物理的な壁が必要なんですね。自分の部屋の壁とかカギつきのドアとか。なんでかっていうと、精神的な壁を作れないからだろうと思う。他人との間の境界がうまく作れないというか。だからしょうがなく物理的な物質でバリケードを作る。侵されないために。「自分のカラに閉じこもる」なんて表現があるけど、自分のカラがある人はまだ良くて、きちっと境界を引けないというのは辛いと思う。自分の考えをまわりの人に全て読み取られているような感覚とか。私も超弱っている時には自我が消し飛び、そうなってしまうのでわかるんだけども。自分をニュートラルな状態にしておける空間と時間は大切ですね。


最近、株をやるようになって挫折することが多くなった。かなり研究したけど、やはり経験値が低いので負ける時も多い。具体的に金を損すると凹むし、負けず嫌いの私にとっては辛い体験なのだ。
でも、取引を繰り返すうちに、一つの回答が訪れた。すなわち、「挫折しても立ち直ればいいんだ」と。挫折というのは十分想定されうる未来である。完全不敗というわけには行かない。負けても立ち直ればすむことなのだ。負けることは恥ずかしくない。ただ、そこから立ち上がればいいだけのことだと。挫折し慣れてないと、挫折したこと自体で恥ずかしい気持ちになり、自己嫌悪に陥るけど、ほんとは負けることなんてたいしたことないのだ。ただ、負けっぱなしでグロッキーになっているのが格好悪いだけである。負けを受け止めて立ち上がる。それでOKなのだ。
不思議なのはパチスロで負けても、今までそういう風には思わなかったことである。これは多分、スロットは運によるところが大きいからかなという気がするけど。
ともかく、挫折はOKなんだという観点で自分の来た道を振り返ってみると、辛い思い出なんかも軽減するような感じだった。
負けた自分を「あれは自分じゃないんだ。本当の自分はもっと強いんだ。本気出せば強いんだ」なんて思うと、これはツライ。しかし、「やっぱりあれは自分。負けた自分はやはり自分自身なんだ。そこから立ち直ればいいだけ」と考えると、なかなかいい感じなのである。
負けた自分を否定するのではなく、負けた己を知り、それを恥じないというのがいいみたいである。挫折もまた良しなのだ。

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