形に残す

生きてきた証というか、何か形に残すというのはわりといいんだろうと思う。もちろん形に残すほどの価値のあるものがあれば、ということになるだろうけど、何か自分がいいもの、いいシステムを発見・開発したのであれば残しておく方がいいだろう。
自分が何か作ってきたかと考えると、どうもそんな気がしない。楽しい方向へ、やりたい方向へとフラフラ動いているものの、これだけはすげぇぜ!というものはないように思う。ということは何かそういうものをバカになってやりまくるのがいいんだろうなぁと思う。世の中にはただただ口だけがエラソーに動いて、実際には何もないという人がよくいるが、やっぱり「これだけはちゃんとやってきました」というものがあってこそ、威張ることもできようと思う。
とにかく目の前にあるものをやってみるというのはどうだろうか。「オレはコレだ!」と思ってやるよりは劣るが、何もやらないよりはマシだろう。どうも「コレだ!」と思うものが見つからないうちに人生ゲームオーバーという感じもひしひしとする。よくいるんだけど、「オレがいるのはこんなところじゃないんだ」とか「私に合わない」とかいう人。じゃあどんなところかがマッチするんだと問うてみても、実は居場所なんかなかったりして。探すにしてもなかなかなかったり、既に他の人がいたり。じゃあ作るかということになるんだけど、作ってみたらかつて自分が拒否したのとほとんど同じような場所であった、なんて展開もあるし。
やっぱり気に入らなくてもなんか自分がきちんとこなせるものっていうのはあってもいいような気がする。少なくとも「これだ〜」というものにめぐり合ってない場合は。
というわけで、納得いかないながらもガムシャラにやろうと思う、2004年夏だった。

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