バカの壁

バカになって突進、というのは私のわりと得意なスタイルなんだけど(面倒なこと考えなくていいし)、どうもただ単にバカであるのは納得いかないようなのである。
まあ実際バカのような気はするけど、自分を自分でバカだというのは気にならないけど、人にバカにされるのは気に入らないという事実。
「オレってバカなんだよね〜」
「ほんとに!」
なんて言われようもんならやっぱり腹が立つ(笑) それに単なるバカでいるのは怠惰でもあろうし、なんていうか誇りを持ったバカであるべきだろう。バカであるということを免罪符にすべきではないだろう。それなりの資格というのを備えていた方がよい。
自分には何ができるんだろうと考えてみる。ほんとに純粋バカなんだろうか? 多少なりとも自分なりの考えや、特技?なんかはあるんだろうか。うーん。
わりと自分は正確性というのにこだわってるので、データをたくさん集めたいと思っているフシがある。何が真実なのか検討し続けて、結局選ばないなんてことも多い。断定を下さない。もちろん、感情で「○○は△△だ!」と言う時もあるけど、実際には確信していない。まだまだ自分の検討・考慮していない点があるのではないかと疑う。けど、ある種の方向性が確定されてないと、そもそも個性でないような気もする。でも、もしかしたら「疑い続ける」というのが個性とか?? でも確信できないものに対して自信は持ちにくい。
もう一つのやり方は「好きなものを選ぶ」ということだろうけど、それは試してみたら思いっきりワガママになってうまくいかんかったしなぁ。うーん。
それにしても自分だけのことならいいんだけど、人のこととなるとどうも始末が悪い。今年の前半で自意識が過剰すぎる部分は改善されたものの、実用的にはまだまだなレベルだしなぁ。おまけに「自分がエラくないといけない」という強迫観念から開放されたのはいいけど、同時に「じゃあ別に何もしなくていいじゃん」という向上心の欠如につながったのがどうもいけない。「社会に何かいいことをしなければなければ」「大きなことしなければ」みたいな使命感は消えたが、これもまた「みんな勝手にやればいいんだよね」という人間に対する興味の減少になってしまってこれもまたよろしくない。こういうのはバランスなんだろうか。もともと愛されることが希薄だったため、自分は社会に必要だと思い込もうとしてた部分、自分は本当はエライのだと考えなければいけなかったところはなんともアホ哀しかったけど、それはそれで向上心をもたらしていたのであり、何もなくなってしまえば、いったいどうすりゃいいんだということになる。こっちが明後日の方向に無駄な努力をしているうちに、人々は仲良く暮らし、いつまでたっても人のいないところでグルグルしてる自分。傲慢な時代には嫌がられ、バカな時代にはバカにされ、ここまで来てしまったことよ。こっちとしては真摯な気持ちだったんだけど。
やっぱり落ち着いて規模縮小し、細々と自分らしくやるしかないか。

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