暗いところで待ち合わせ

乙一くんの「暗いところで待ち合わせ」という本を読んでたら、わりとここ最近書いてた日記と共通項があったので夢中になって読破してしまった。それにしても乙一くんは泣かせる。さすがは切ない系の帝王である。思わずくん付けしてしまう。
主人公は目が見えなくて、保険金だけで引きこもって生きていこうと考えるんだけど、たまたま家に迷い込んだ男と交流が生じる。
「家の中でいるのはきっと安らかに違いない。悩むことも誰かとの別れに悲しむことはもうないし、何もない見知った暗闇は安全だ。一人でいれば孤独さえもない」
と主人公は思うのだが、思わず優しくされて、主人公は思う。
「一人で生きていけるというのは嘘だった」
と。実はこの男もわりと不器用なヤツで、
「もっと自分が気の利いた人間ならよかった、他人とまともな接触をしてこなかったので。どうやって慰めていいかわからない」
と言ったりする。引きこもり作家の乙一氏ならではの展開なんだけど、このあたりにノルウェイの森の直子とキズキの関係に近いものを感じて面白い。
で、乙一くんはこの本で、必要だったのは自分を許してくれる人間だったと結論付けている。そうなのかなぁ。
でも許されるためには誰かを許すことも必要なんだろうなと感じた。許しあって成立する関係というのが結構標準的なのかも。そもそも普遍的に許されているという考え方もあるけど。
あと、まともな接触ってなんだろう。多分、生のままで、触ってみるということなにんだろうけど。でもその時にはなんていうか自分なりの指針みたいな構えも必要なんだと思う。上っ面で関わるよりもだいぶエキサイティングそうなのがいいけど、諸刃の剣なんだろうな。
まあせっかく落ち込んだことだし、もう少し、暗いトンネルにこもって考えてみよう。

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