宅間の不条理

昨日死刑になった宅間の暴言はたくさんあって、一見もっもらしく見えるものもあるし、被害者の傷をえぐるという点で(マイナス方向に)芸術的といえるものさえある。現代の思想的な病根が一身に集中したような男だ。
そんな暴言の中で気になったものが一つあった。それは犯罪動機の一つである「世の中は不条理なことをわからせてやるんじゃ!」というもの。
そういえば、藤村操だったかが「曰く不可解」なんて死んでいった。してみると人は、デフォルトでは、社会と言うものは努力が報われるとか、気持ちが完全に伝わるとか、わかりあえるとか、そういう風にインプットされてるらしい。もちろんそうであるといいし、そうあるべきなんだろうけど、実際にはやはり不条理である。「不条理なことをわからせてやるんじゃ!」なんて主張されなくても、殆どの人は世の中が不条理であることを多かれ少なかれ感じている。


宅間は知らなかったのだろう。
いつも食うのに困ってカツカツな人は、他の貧乏人に対して慈悲心というものを持ちあわせないことがあるように、宅間の場合も、自分の不条理には目が行ったけど、他の人も不条理を感じてるなんて想像できなかったのかもしれない。


しかし不条理は、それに立ち向かう意志によってダメージを減らすことが出来る。不条理なことがあったからといって立ち止まったらそこで試合終了である。例えばなんかの試合で誤審があったからといって、そのことに囚われてしまったらその試合には負けることが多い。誤審はあるものとカウントし、冷静でいればまたチャンスが生まれることも多い。
不条理だからといって審判をぶん殴ってしまったら元も子もない。そんな人には速やかにレッドカードが与えられる。
多くの人は不条理を認識しつつも、それに立ち向かって戦っているのだ。

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