打たれ強さ

村上春樹の「アフターダーク」に、「精神的な傷は一度受けてしまうと、回復不能なんだ。それはソフトの問題だからね」というセリフが出てくる。例によって正確な引用じゃないけど(笑)、そんな感じのセリフだったと思う。
確かにそれを食らった時に、2秒で中央線に飛び込みたくなるようなショックというのはある。恐るべきハイブロウ。痛恨の一撃というのはしばしば存在する。
でもそれってほんとに回復不能なんだろうか。論理回路が壊れてしまったハードディスクのように、二度とデータを回復させることはできないんだろうか。
ところで、論理的な展開として、選択不可な場合の前向きな選択というのがある。例えば「生きている理由はあるか」という問いに対して、「理由はない」という回答が正しいとすると、前に進めなくなってしまうので、仕方なく「理由はある」と選択すること。
精神的な損傷は回復できないとすると、やはり進めなくなってしまうので、回復するという前提に頑張るのが正しいのかもしれない。でも真実に近づこうとするならば、回復しないという可能性も考えておくべきである。捨てる時は捨てなきゃならない。


だが拳骨は鍛えると瓦をも砕くようになる。手袋をはめて使わなければ弱いままだが、何度もぶつけていると固くなる。最初に壁を叩いた時は痛い。ましてや画鋲を殴ってしまったりすると、二度と拳を使いたくないと思うだろう。血は流れ、痛みに怯えるようになる。殴る時、力をこめればこめるほど、ダメだった時の痛みも大きい。
でもやっぱり殴らなきゃ始まらない。跳ね返されても。何度も跳ね返されてるうちに気づく。
どうってことないじゃん、と。
まだ戦える、と。
痛みを思い出すと吐き気はするけど、それでも戦うたびに打たれ強くなっていく。痛みをかみしめて、理解して、刻みつけて、自分のものにする。多分、立ち続けた者だけが本当に勝利するのだと思う。勝利しなかったとしても、戦う姿勢が良いというのはわりと価値があるような気がする。
そんなわけで、今日も傷つくことを恐れず頑張ろう。

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