飼い慣らす

先のことなんて心配したって始まらない、今を生きる! なんてのはもう考えずとも反射神経で出てくるくらいポピュラーなことだけど、なかなかそうはいかない。やっぱり先のことが心配になってしまう。そしてあれやらなきゃこれやらなきゃと焦る。もちろん、何も負荷のない状態で伸び伸びとやった方が効率がいいのはわかっている。さりとて心配してしまうことからは逃れられない。気づかないふりしてやることはできるけど、どうも腹に抱えた違和感がある。
焦りの要因は「うまくいかないと最悪の結果を招いてしまう」という不安だと思う。
でもほんとは最悪な結果なんかないのかもしれない。ほんとうに怖いのは恐怖を恐怖してしまうことであり、それによって行動を制限されてしまうことである。…なんてことを何回もこの日記に書いてきたわけだけど、それでもやっぱり恐怖を回避できないということは、違う戦法をとらないとダメということになる。結局、書くことは助けにならないのだろうか。納得することと、実際にそういう行動ができるということの間の距離は遠いのかもしれない。いくら頑張って、空元気を出して、前向きになって、奮闘努力してもそれは呪われた刻印のように足首の鎖につながれズルズルと私を地獄へと引き戻す。坂道の勾配のなくなるところまで走りきらないといけないということだろうか。それとも金魚のフンの切れることはないのだろうか。
絶対的な恐怖というのはあって、そういう恐ろしさにはどういう力も希望も意志も強さも打ち勝てない気がする。愛だけがかろうじて引き分けに持ち込めるような気がするが、愛につかまるとそれはしばしば肝心なところで千切れてしまい、より高い高度からの落差によってさらに傷つくことも多い。
力を抜いて人を信じた時、急に落ちてくるあの理不尽なまでの衝撃。自分はまたそこに追い込まれて、手も足も出ず屈服してしまうのだろうか。誇りも尊厳も消え果てて。誰も助けてくれない氷のような居場所のない世界で。
もうそんな目にはあいたくないなぁと思う。むしろ恐れて当然と思うべきか。
そんな風に認めて行くべきなのかも。克服というよりは、共存そして慰謝かもしれない。立ち向かってダメなら懐柔か。ふむ、それでいってみよう。

日記才人投票