Let’s 脱力

雨ばっかり続くし寒いしで、いい感じにメロウになってきた。私の場合、落ち込んだ方が仕事かが進む傾向にある。元気だと「あれもしたい、これもしたい」と焦るし、モヤモヤするんだけど、メロウなら「しょうがない、ぼちぼちとやるか」なんて逆に落ち着いたりする。草原で耳を立てるプレーリードッグより、モグラの方がよく働くのである。
それにしても自分のやりたいことをできるだけ効率的にやっていきたいと思う。いつポックリ死んじゃうかもしれないし、無駄な時間というのはなるたけ避けていきたい。そのためには常に力を抜いておく必要がある。脱力・脱力なのだ。
精神力というのは目減りして行くものだと思う。例えば朝起きた時に100だとすると、夜には20くらいになっている。しかし落ち着く時間は夜なので、夜になって集中はできても精神力が残ってないという事態はままある。で、眠たいし寝ちゃおうか、なんてことになる。ということは、いかに夜まで精神力を温存しておくかということになる。
私は生来、力を入れすぎる性質のため、なかなかうまく脱力することが出来ない。多分、潜在的に「何か急に辛いことが起こるんじゃないか」とビクビクしてるのがよくないんだと思う。そんなことはないと知識的にはわかってるんだけど、もう癖になっちゃっててどうしようもない。これが【構え】となって精神力を大きく消費する。そしてまた、そういう妄想を脳内で確認すると、「怖くないぞ」と反射的に抑えようとする。これが【反動抑力】で、さらに精神力を消費する。そうなってしまうと動きがぎこちなり、他人に不可解な目で見られるので傷つく。これが【劣等感認識】でまたまた精神力を消費する。これがだいたいのハマリパターンである。このパターンを全部踏襲すると昼くらいでほぼ精神力が消える。
パターンをストップしやすいのは、【反動抑力】からで、これは自分の不安を認めることにより、無理して爪先立ちしようとしなくなることから、とりあえずは脱力できる。【反動抑力】を発動している間は、本来の自分の自由度がほぼゼロになるので、「能動的な気持ち」になることはできない。人が「能動的な気持ち」になるのは自分を許し、認めている時だけだからである。
ただし【反動抑力】をストップしたとしても、【劣等感認識】は増量される。「強いフリ」をしている時の方が社会的にはマシだからで、生のままの弱い自分で行くと、それはそれでバカにされ、傷つくことになる。この時に重要なのは「自分の声が聞こえるかどうか」である。自分はどう思っているのか、ということが理解できると、生のままで強い自分になる。パワーではなくて認識である。いかに自分の脳みそを回転させることができるかというところがポイントになる。そして、自分がいかに世の中で平凡な存在で頭を低くすべきかを認識する必要がある。【構え】が入ってる人間は、その反動で常習的に「自分は世の中で重要な存在である」という妄想で自分を支えてしまうので、その固まった妄想を取り除くのはかなり骨の折れる仕事である。自分が孤独で、なおかつ世の中で重要でないとすれば、自分の価値を見出すのはかなり難しい。そういうみすぼらしい自分に耐えるのは、なかなかつらいことである。
じゃあ元々の【構え】をとくにはどうすればいいかというと、これはどうやら1人では難しいようである。誰か「身近にいる心から信頼できる人」が「自分を承認している」という現在進行形の保証がないと難しい。いい本や音楽で一時的に【構え】をとくことはできても、永続性はないようである。そもそも1人でいるということは、この世に存在しないのとほぼ同値なので、自分の声も聞こえにくくなる。
でもまあ実際の世界は優しい人も多いし、そんなに孤独なものでもない。あつものに懲りてナマスを吹いてるだけである。・・・とまあこんな面倒くさいことばかり考えてるのがまた精神力の無駄遣いか(笑)
とにかく脱力して、いい仕事をしよう。栄誉も何もいらないので、思う通りの一手が打ちたいという感じですね。

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