みの虫的

今日は税務署とのファーストインパクト。また今年もいろいろと言われるんだろうな…と担当を待っていたら、あな不思議、美人のおねーちゃんではないか。いつものメガネの冷たい感じのオッサンとは違う。そうとなれば話は別である。私の対人愛嬌能力が350%上昇。急にウキウキしてきた。
しかし。


ビシ!
ビシ!


笑顔ながらもツッコミが厳しい。
「この貸借対照表ですが…、ここのところが変じゃないですか?」
と、去年は注意されなかったところが指摘される。そして分厚いマニュアルなんか出してきて。
(ヤバイぞ。こいつはヤバイ)
去年までの冷たいメガネオヤジなら、いろいろ言いつつも、ひょろっと通してくれたところもあった。しかし、今年のおねーちゃんは手ごわい。手加減ということを知らない。がみがみ言われながら通してくれるのと、優しいながらも確実に痛いところをついてこられるのはどっちがいいのか…。
(よし、ここは一時撤退だ!)
ということで、検討しなおします、と離脱。簿記用語を再確認しないと。
でも帰っていろいろ調べてみると、おねーちゃんの言うこともごもっとも。ちょっと賢くなった。そして今週中にはなんとかなりそうな可能性も出てきたようである。頑張るぞ。


全然話は変わるんだけど。
ヤドカリに宿があるように、そしてみの虫に蓑があるように、人にもその人固有のカラみたいなものがあるんだと思う。カラの中に居れば安全である。
しかし、一度そのカラをバカにされると、あんまりそのカラの中にいたくなくなる。それが自分ではないと思いたくなる。そしてカラから離れてフラフラと出歩く。
しかし、それは魂が分裂した状態というか、本来の自分ではないので、うまくいかないことが多い。一時的にはみの虫ではなくなっても、本来の姿ではないのだからどこかに無理が出る。
結局カラから離れないで、カラを認めてなんとかやるしかないのだ。カラはわりと生まれつきな部分があって、どうしようもないところもある。でもそれを許容してやっていかない限り平穏は訪れない。見栄えはしないかもしれないけど、蓑にすっぽりと収まってやっていくのが一番である。
みの虫の姿のまま、みんなの前に出て行かなきゃならないのである。そこには想像を絶するような天才のすばらしい自分、なんてのはいなくて、地味な人がいるだけである。実につまらない世の中である。だけど、見直してみるとこの蓑って案外よくできてるじゃん?なんてことはありそうである。

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