友情と恋のはざ間で揺れる

先日来、ぎくしゃくしてた友達とようやく仲直りしてホッとした。例え友達であっても言うべきことは言うべきで、それを押し通してもめたとしても、結局最後にはその方が結びつきが強くなると信じている。安易に馴れ合うとだんだんきゅうくつになるんだと思う。


昨日飲んでた人の中に、わりとおもろい人がいた。なんか寡黙なのである。でも無愛想というわけでなく、きちんと相槌を打つし感じも悪くない。で、その人を観察した結果、どうやら彼の中にきちんとしたスモールワールドを持ってるのだとわかった。自分なりの世界というか。そういうのを持ってる人って安心感がある。その中身がなんであれ、体制として、外界と自分を隔てて立っている姿は格好良かった。私なんか卵の白身と黄身がこちゃ〜と広がって、うだうだと感情の海に溺れたりするけど、彼のようにきっちりと殻を作って狼狽しないのがよろしいと思った。高倉健みたいな感じで。オレもあんな風になろう、と思った。


友達と思っていたのに、なんか好きということがある。男女間の友情というのはその山に出くわすことが多い。
先日も女友達の恋愛相談にのってて「その人と付き合っちゃおうかな」なんて言われたんだけど、言われてみるとなんか嫉妬を感じて惜しくなった。「ヤメロ」と言うわけにもいかず、はたまた「がんばれ」と応援するのも苦しく、これはもしや恋? なんて思ってびっくりした。女友達という気安さでよく会うし、会ってるとどんどん話しやすくてしかも自分の内情なんかも話すわけだから親密にならざるを得ない。恋愛においては当日記でさんざん既出であるが「恋≒友情+性欲」の近似式が成立するので、その子をセクシーだと思ってしまうとちょっとヤバイわけである。当て馬の登場により、私の性欲が刺激されたということだろうか。でもそうなると、今度は「友情+性欲=セックスフレンド」の法則はどうなるのかという話になる。セックスできる友達は最高の友達と江国香織もいってるし、結局セフレになりたいのかという疑問も湧いてくる。
最近考えてるのは、愛には依存が含まれているのではないかということである。セフレに依存はしないが、恋人にはする。私は彼女に依存したいのかなと考えてみると、ちょっと答が見える気がする。ただし、この依存は信頼に基づいての依存であって、最初からの依存ではない。
そう考えてみると、男女間には「友達」「セフレ」「恋人」の三段階があることになる。ただし、聞くところによると、女性から見ると一般的に男女間には「友達」「友達と恋人の間」「恋人」があるらしく、「友達と恋人の間」と「恋人」の間にセックスがあるといった感じのようである(ツワモノの女性は別として)。男性側から見るのとかなり違う。なかなか難解であるのでもう少し調査してみたい。

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