重い恋

なんだか雑念や諸事が煮詰まってきたので、全ての行動を凍結してみた。こういう状況になると、アッサリと自分が飛ばされてしまうので、きちんと形を持って方向性を打ち出すために、孤独になって集中し研ぎ澄ます必要がある。
やり直す時には二通りの方法があって、一つは歪んでしまったものを修理する方法、もう一つは全部捨てて、さらっぴんで1からやり直す方法だ。私は後者の方を好む。すぐに始められるからだ。ただしこの方法だと以前犯した過ちをまた繰り返すという懸念が含まれている。身につかないというわけだ。
そういえば酒の席での話題で、「別れを切り出された時に理由を聞くかどうか」という話になって、私はそんなの聞かない派なんだけど、多くの人が理由を聞くという話だった。もう終わりなのにそんなの聞いてどうするん?っちゅーのもあるし、1秒でも早くその場から離れたいと思うんだけど、そんなのって納得したいのかなぁ。でもその理由が普遍的なものであれば、今後の改善課題として聞くのもありなのか。うーん。でも別れなんて切り出されたら超ムカツクわけだし、自尊心は崩壊するし、よくもまあそんなに冷静でいられるもんだと思う。好きな人に拒絶されると言うのは最も強い存在否定だし、原爆落とされたような酷い状態となるので、「どうして原爆落としたの?」なんて聞いても復興するわけもなく。裏切り者として恨んでしまう気がする。
でも実際には、別れを切り出すと言うのは性格の不一致であり、信頼関係には影響せず、人格を否定するわけでもないというのは知っている。別れを切り出す権利も当然ある。でもそれは教科書的知識だ。実体験的には捨てられたという哀しみと、裏切られたという怒り、そして不信感に支配される。それは多分、個人的なファンダメンタルの問題なのだろう。愛情余力の強い人は別になんてことないが、おおよそ愛情というものとは無縁だった私にとっては恋人と言うのはかなりの責任を負ってしまう。それもこっち側だけの都合だけでだけど。相手はさぞかし疲れるだろうなと思う。この世界から落ちないための命綱となってしまうのだから。
その仕組みに気づいた時、もう本気で恋愛するのはやめようと思った。迷惑をかけるし、むしろ相手のための命綱になるべきだろうと思うので。そんなわけで、愛情無しで自分の努力だけでなんとかしないとなぁと思う。ガス欠の車を押してるような感じだ。
でもまあ辿り着くんじゃないかという気もする。押してりゃちょっとは進むのだし。
今のままの私だと抱きしめすぎて殺してしまうのだから。

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