先天的にはゼロ

なんか日々過ぎるスピードが速く、落ち着いて物を考える暇がない。でも特に考えなくても過ごしていけるわけで、支障もないといえばないのだからなんか不完全燃焼な日々である。あるタイミングからなんか悩みという物が少なくなり、そうなってくるとちょっと中だるみの日々が残るわけで、戸惑っている。幼少の頃から濃い悩みの固まりに押しつぶされてきた自分にとって、こういう負荷のない状態というのはほんとに頼りない。むしろ苦しんでいてどうしようかとオロオロしてる方がなんだかやる気が出る体たらくである(笑)

でも普通の人って常にこういう感じなんだろうなぁ。悩みも無く、よって考えることもなく、それは別に悪いことでもないし平和なんだけど、世の中の事柄の奥底までシコシコと考えてこねくりまわしてきた自分にとっては何も負荷がない状態というのは変な感じである。それは生き死にに関わる悩みであったし、精神がイってしまうかしまわないかという瀬戸際の苦しみだったわけで、結局まあどうでもいいことじゃんと割り切ってしまうとほんとに頼りない。これでいいのか?と思う。貧乏性といえば貧乏性なんだけど。親の仇が病死してしまったような肩透かしである。

結局無駄だったのかなぁ。そういうアレコレは…。下手な考え休むに似たりというけれど。多分考えるというより、考えることは逃避であったのかもしれない。ダメージをそらすための…。だとたしたら無駄とわかっただけ進歩したということか。要は必要とされてない自分をいかに位置付けるかということになる。それは考えたって答えは出ない。根本的にアウトなのだ。だから結局先天的にはゼロで、後天的に何かを生み出していくしかない。コーラは飲めないけど、ダイエットコーラならあるという感じである。ベストではないがワーストでもない。まあダイエットコーラでもそんなに悪くないものだ。


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