自殺する人

自殺したがってる人に対して、「この負け犬めがっ!」なんてよく言ってしまう。年を取ると気を使うという気持ちが薄くなってくるらしく、舌禍が絶えない。
もちろん、ガンバレと言ってはいけない人がいるのは知っている。でも喉元まで上がってくるのは「弱虫」だとか「努力不足」とか「贅沢もんが」なんて言葉なのだ。もしそう言ったとすると、彼らは「お前になんか私の気持ちがわかるもんか」と来る。もしろんわからないし、わかりたくもない。むしろ「こっちの気持ちだってアンタにゃわからんだろ」と思う。

そして、ああ、死んでいいよ、ただし電車に飛び込んだりとか人に迷惑かけるのやめてね、なんて言いたくなる。練炭集団自殺なんか死ぬときまで自立できないんだねぇ、なんて思う。多分、その奥にあるのは怒り。人生の様々な絶望や不運と及ばずながら戦ってきた者にとって、自殺希望者は逃亡者にしか映らないのである。結局平行線なのだ。
しかし本音では自殺希望者の命でさえ、こっちからすれば消したくないのである。自分のものだろうが他人のものだろうが粗末に扱われるとムカつくのである。特に五体満足なのにあきらめる奴はいかんともしがたい。

でもまあ実際問題として、ウツ病とかで死んでしまう人は脳内物質の問題なので、ガンとかの病気で死ぬのに近いものがあるのかもしれない。ウツに至る過程には「遺伝」「無教育」「愛情不足」「不運」が渾然一体となってると思うのだけど、なってしまったらしょうがないか。となると、ウツが原因の自殺希望者にはあんまり言ってはいけないことになる。

関係ないかもしけないけど、車椅子優先エレベーターとか、ちびくろサンボは人種差別とかそういうマイノリティー擁護思考は普通の人にとってしんどいものである。ゴミの分別もそうだけど。便利になって発達すればするほど不便も出てくるということ。民度のレベルを上げておかないとこっちがウツ病になっしまいそうである。そもそも人間はそんな高民度に応じられるほどデキのいい生き物なんだろうか。ゆとりに忍び寄る存在に対する疑問。蝕まれる心。
まだまだ時間がかかりそうである。


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