意味は結果に委ねられる

いやーようやくのお盆。今年はよく働いたなぁ。おかげで日記も書けないこの体たらく。なんで時間ってこんなにないのかねぇ。でも能力の限界まで働いて、布団に倒れこんだ瞬間寝るというのはなかなか気持ちいいものです。悩みもないし、次々と力ずくでやっつけるのはまあ悪くないかなと。何もやることがない、と途方に暮れているよりは100倍マシか。にしてもまだやりたいことリストの下位5個くらいが手付かずになってるのは残念ナリ。

まあそういう生活を送ってながらも、時々考えるわけです。そのうち死ぬのだしなんか意味あることしたいなー、みたいな。さすがにもう「なんのために生きるのだろう」みいなことは露とも思わないのだけど、もしそう問われたら意味は結果に委ねられると言うしかないかなと。例えば株だったら予想通りのトレードで相場から金をむしりとった時の愉悦。勝利の美酒しか意味の答えを教えてくれないんですよね。

負けたら、意味のない人生

これです。よく頑張ったとか、参加することに意義があるとかそんなの嘘っぱち。仕事なら仕事で「これはスゴイ」と賞賛されなきゃ意味ないかなぁと思う。結果を残す。

で、結果を残せるやつは100%努力してる。努力は報われるとは限らないので、これは十分条件というやつか(必要条件だっけ?)。努力する前に意味を考えて動けない者は不戦敗になり、努力して負けたら多少の満足感。勝って結果を残してこそ「意味があったよねぇ」ということになる気がします。勝つというかなんらかのミッションをやりとげると言い換えてもいいけど。

じゃあ結果が出なきゃどうすればいいか。これは「やり続ける」しかないんですね、きっと。やめなきゃとりあえず負けじゃないし。それで勝てずに死んじゃっても、それは引き分けなんだから、まあ負けなかったぞ、と(笑) 
もうガッツンガッツンやりまくるしかないわけです。


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