ストイシズム

この前、眞鍋かをりとじかに10分ほど会う機会があったけど、ありゃいい女ですね。一般的にはどうかわからんけど、なんか芯が通ってた感じ。アイドルとかそういう肩書き抜きで人生に現れて欲しかったな。2年に1回くらいしか会わないくらいのいい感性の持ち主だった。モロ好みで相性良さそうなのに、残念なり。また来世!って感じ。

喘息が超酷い。来週こそ、病院へ行くぞ。咳とかより、思いっきり笑ったり酒飲んだりできないのがツライ。喉のところにポータブル吸気口とかつけれたらいいのになぁ。息苦しくてイカン。

私は基本的に底無しの向上心のために、自分の運を最低とみなし、誰からも愛されてないという風に想定することを好むのだけど、どうやらそのシステムにも穴があるかなぁという気がしてきた。例えば自分に運があるときは運があると自覚しないと、さらに運を呼び込めないと思うのだ。また、愛されていることに気づかないと、その愛してくれてる人をわりかし不幸にすると思う。あまりにも疑い深い性格のため、騙されたり裏切られたりするよりは、愛されることなんか必要とせず、1人で強く生きるぜ知ったことかクソ野郎と思ってるんだけど、まあ誰かが自分を愛してる時にはそうもいくまいという感じである。関係性においては相手の気持ちの有り様というのにも考慮しなくてはならないし、自分さえよけりゃいいやというのではちょっとマズイようだ。愛されてたら愛されていると認識するのがよいと思うようになった。ひたすら自分をマイナスの位置においてきたが、そうではなく、現状とできるだけ合致させる方が物事はよりよく運ぶし、自信も持てる。実は俺はかなりやる男だったのだ。すげえぞ、俺…なんて思ってるとあっという間に慢心するのがまた困ったもんだ。

弟がまた金の無心をしてきた。やれやれ。こっちもそんなに楽じゃないんだが…。でもまあ子供時代によくしてやれなかったので、無条件で送金することにする。あの虐待環境でよくぞ歪まなかったものだ。…でもそれって甘いのかなぁ。一つ説教でもした方がいいのか…。でも明らかに説教するガラではないしなぁ。まあ、グレずに生きていてくれれば無職でも何でもいいや。お兄ちゃんが食わせてやるぜ。

自分の一致度を高めることは重要だ。表面に出ている自分がそのまま自分であること。愛があれば人並みに幸福だった自分、なんて考えがもうダメ。むしろ不幸な現状を認めてしまえばいい。底で自分のみっともなさを認めるしかない。ゼロを認めて他人を求めなくなればわりと楽に生きられる。まあゼロであるってことは、基本的人権を認められないことと同じくらい腹の立つことだけど、世の中にはわりとそういう境遇は実在する。はずれくじなのだ。ハズレはハズレ、カタワはカタワ、精神病は精神病、現実を認識しないと何も始まらない。でもまああきらめるまでにはそれ相応の時間がかかるし、いい人とも出会わないとなんない。自分の手で糊口を凌ぐスキル獲得も必要だろう。かなりハンデがある。そこで弱い奴は自殺したりするかもね。でも、それでも頑張れば幸せになれるというのが俺の見解。

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