深意を探る

「4日間の奇蹟」を読了。なかなか良かったけど、最近、セカチューとかイマアイとかの路線が流行してるみたいでやや食傷気味。とりあえず、死んだら死んだままになっとかんと(笑)

年を取るというのはありがたい面もある。例えばロングドライブの後、ゆっくりと風呂に肩まで浸かると物凄く気ん持ちいい〜と思ったりする。そうか、これが疲労というものなのか! 今まで疲れ知らずの体力馬鹿だっただけに新鮮である。やや残念でもあるけど、まあ人はだんだんくたびれて死んでいくのである。

でも面倒くさがり度が上がるのは始末に終えない。考えるのが面倒になって、そこらへんの出来合いにある考え方ですまそうとするのは考え物である。30を越えたら結婚しなきゃなんてのはその最たるものではあるが、そろそろそうなんかなぁとか、いい加減ジャンプとか読んで笑い転げるのはイケナイんじゃないだろうかとか、いろいろと社会的な圧迫に押されるわけである。そもそも女の子と仲良くなるチャンスの時に、「この子とはああなってこうなって、別れはこうなる」なんて予想して遠慮するとかはもうダメ。元々は来た球を打つ長嶋さんタイプ(というか悪球打ちの岩鬼かもしれんが(笑))だっだではないか。

まあそんなこんなで、ほんとは自分がどう考えているのかというのすら怪しくなるので、じっくり時間をかけて深意を探るべきなのである。静寂の中、思考の階段をゆっくりと降りていき、集中すると、深い青の深海の底でゆっくりと真の姿が現れる。ああ、これが俺なんだとわかり安心する。でも普段サボっていると深意というのはなかなか出てこないので、不便である。多分、傷ついていたり生活の不安があったり仕事上の他の人の心配をしなくてはならなかったりで、落ち着かなくなるんだけど。

すっこーんと自分でいられればいいのだけど、それはいつも霧の中で思うように出てこない。もしかしたら彼はあんまり生きたくないのかもしれない。うまいメシや面白い本とか長い睡眠とかでかろうじてつなぎとめているのかもしれない。多分、傷ついたり、新しい一歩を踏み出したくないのだと推測する。まあそういう点をよく認めてなだめてやらんとなぁ。
結局、受け止めることでしかあんまり解決しないようである。

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