それはロジカルに保証される

akane172005-11-24

いやー、忙しい。仕事も遊びも料理も、その他諸々も。 こんな時間にここに辿り着くとは。ますます時間が抑圧されている感じ。ジムに行くのもあるし。うーん、満ちた生活であるのは確かだけど、それが幸せなのかどうか。いや、幸せかどうかを考える時間があるのはわりかし幸せな方なのだろう。先のことはわからないが今はまあまあ良いとしよう。

さて、料理である。生まれて初めて酢味噌なるものを作ってみた(画像のやつ)メチャウマ。めっちゃウマい! 世の中にこんなうまいもんがあったとは、失態である。ヌタに少々似てるけど、独特の味。スズキの洗いは今までわさび醤油で食べてたけど、酢味噌も抜群にまいうー。しゃぶしゃぶで言う、おしろポン酢とゴマダレの関係に似たり。千葉のスズキもうまかったが、横浜沖のそれもなかなかいけている。次はメバルアオリイカ。釣りのいいところは作戦を練って攻略し、結果を得られるところだ。しかも食べたらうまい。この修行→報われるのパターンは人間のひとつの快楽パータンであるに違いない。RPGしかり、スポーツしかり。自己実現に喜びを見出すのだと思う。逆に恋愛なんかで努力→結果が得られずとなると、激しく失望する。これはもちろん不幸パターンである。なんだかんだで否定されてて身の置き場がないのである。その点、釣りは坊主でも次回があるので安心だ。恋愛よりも釣りに走るわけだ(オイ) 

一人で誰ともしゃべらず、カツカツ仕事をしていると、なんかいろいろと障害が出てくる。自営業は気楽だが、反面同僚がいなくてさびしいシーンもある。その点、最近趣味関係で友達が増えたのはうれしい限り。あまりに長く人から離れていると、久しぶりにつながった時、人間不信っぽくなっている。もちろんそれは言いがかり的なもので、こっちが肩に力入れすぎ、自意識過剰すぎなんだけど、孤独とはそういう要素をよく熟成させる。そんな時に、いい感じに好意を抱いてくれる人がいると助かる。ほぐれて湯に入った感じになる。さらに良くなると、わりと地の自分で行ける様になる。孤独だとついつい傲慢になるが、人に好かれると、腰が低くなる。そして腰が低くなるとさらに人に好かれるので好循環になる。いつもこうありたいものだ。しかしながら、ふと、落とし穴にはまるように状態が落ちる。パチスロ北斗の拳で言うなら、ジャギモード(天国)からいきなりシンモード(地獄)に転落することがある。そうなるとダメだ。短時間で二重人格のようになる。多分、自分の本質は荒涼としていて、幸せが信じられないのだと思う。信じる信じないというのは、特に確固としたものがないので、状態はたやすく変化する。せいぜい、いい状態にいるよう祈るしかない。これはどんなに努力しても固定化できなかったので、今後もそうだろう。だとしたら、抵抗するのでなく、その状態を把握してうまくコントロールするしかない。ガンのようなものだ。不治だけど進行を遅らせることはわりとできる。仕事や何やかやで酷い時には自分がどういう状態か把握しようという思考まで飛んでしまうのでわりと厄介なんだけど、これは遺伝的な性質なのでしょうがないところだろう。

それでも状態がいい時は世の中が優しく見える。世の中がきちんと動いているように思える。実際、きちんと動いているのだけど、なんていうかロジカルに保証される感じに見える。頭で考えてることがそのまま現実と寸分変わらぬと言うか…。状態が悪い時には、他人が自分を傷つけようとしているようにさえ思える。誰もが自分を承認していない時というのはそんな風である。今にして思えば巨大なトラウマがロジカルな思考エリアをぶっつぶしてしまった感がある。この修復にはだいぶ長くかかっている。わざと自分を傷つけたかった思考的な自殺の部分もあるので、誰かを責めるわけにはいかないけど。失った寂しさより虚無の絶望の方がマシだと思ったのかも。

けどまあロジカルなところに戻れるかなという気も最近は少ししている。それは結局他人に壊された人生ではなく、自分の人生だからだ。みすぼらしくても楽しい我が家。萎えた足ながらボツボツ前に行こうと思う。

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