思い

もうすっかり冬で寒さがたまらない。せっかく海釣りを覚えたのにこう寒くては竿を握る元気もない。しょうがないので自分の子竿を…って違うか(笑) とにかく寒いのは嫌いである。風邪は引くし夜中はコンビニ行けないし…。早く4月になって欲しいものである。

それにしても恨みというのはコワイものである。数年前、何かの件でモメた人にまだ恨まれているらしい。迷惑をかけられたのはこっちなのに。その人はヤフオクでいうなら「神経質な人は入札をご遠慮ください」と指定される範疇の人であろうと思うのだけど、ほんとにキモイ。

普段、私は誰かと付き合う際に「相手は立派な人である」という前提をもってつきあっている。…というと立派そうに聞こえるけど、まあ実際のところは、面倒くさいからである。多少のことは自分が我慢すりゃいいやと思えば楽に付き合える。こういう姿勢をとっていると、往々にして他人を利用したい性格の人が寄って来るのだけど、そこだけ撥ね付けておけば、まあマルチに対応できるのである。

もう一つの理由は、他人の世話を焼きたくないからである。私は自力本願・自立主義の使徒なので、甘えてる人が嫌いだ。自立するために自分がなみなみならぬ努力を払っているので、当然、他の人もそうして欲しいとひそかに願っていたりする。でも実際に自立している人は少ないのかもしれない。自分のことは自分でして、なおかつ他人に親切にしようというのは基本だと思うのだが、そういう気持ちのいい対応にいつも出会えるとは限らない。というかそういう思想がそもそも浸透してないのかもしれないけど、そういうのがいいと思う。もちろん私の考え方が間違ってる可能性もある。でも自分が一番気持ちの良い思想でいたいと思う。

で、話は戻るのだけど、ダメな人がいるのだなぁ。これはさすがに「相手は立派な人である」というシステムでは少々しんどい。面倒くさがらずに、相手を見極めて対応するのも必要かなと思ったり。受け止めたり、真剣に捕らえなくてもよい人っているのだと思う。そういう本質を見てしまうと、しばしば社会の未完成度に対するガッカリ感に襲われるのだけど、(そもそもなぜ完全であると思い込んでしまったのか)、現実がそうならしょうがない。なんか幻想持ちすぎって感もあるのだけど…。みんな立派な人なんだ、人の命は地球より重い、みたいな幻想ってわりといいと思うんだけどね。ダメか。

ともかく、「今、人としてどうするべきなのか」という行動理念にわりと沿ってきた。最大公約数的な答え。そこにはエゴがない。しかし別の問題として、エゴというのも必要な気もする。優等生的な行動様式はそれはそれで嫌われる時もあるし。相手によってエゴの出具合を調整するなんてことが必要なのかも。難しい。エゴのないのは、なんだろう、無個性というのか、ミスチルの歌で言うなら「さまざまな角度から物事を見ようとしたら自分を見失ってた」というか。それは自分のエゴを通すことへの恐れもあるし、そもそも誰にも愛されてない者は存在力が薄いというのもあるのだけど、個性というものが築かれてない気がする。おまけになんかの罪悪感で自分を出すのを禁じられている気がする。

そしてホロリと言ってみる。自分固有の思いとかを。あまりにも誰にも聞いてもらえなかったもの。許可されてなかったもの。強風の中に揺らめく小さなロウソクの炎のような言葉。
それはあまりにも小さいけど、重要なものだったりする。

ボクハ、イキタイ。

そして多分、生きていいのだと思う。


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