祖母の名

ふと、おばあちゃんの名前って何だっけ?と考えた。私にとっておばあちゃんはおばあちゃんである。確か名前はあるはずなんだけど…と考えること少し。わからない。いくらなんでもかなり近い肉親の名前を忘れるのはあんまりだと思ったので必死に記憶を辿ってみると、父方の祖父母についてはなんとか思い出した。というのも、父方の祖父母は私がわりと大きくなるまで生きており(祖母はありがたいことに未だに健在)、わりと記憶に残っていると思われる。母方の祖父はそもそも会った事がない。母親曰く「ロクでなし」とのこと。もしかしてその血を隔世遺伝で引いちゃってたりして(笑) しかも母親の亭主もダメ男なので代々だめんずうぉーかーっぽい。
…ともかく母方の祖父は不明なのはしょうがない。問題は母方の祖母である。


おばあちゃんは確か私が小学生の低学年の時亡くなったのだと思う。母が忙しい時にはよく預けられていた。懐メロが好きで、いつもラジオで演歌らしきものがかかっていた。私はその4畳半くらいの部屋で案外幸せな日々を送った。祖母は目が見えなかったけど掛け値なしに愛してくれた。貧乏で母子家庭だったけど特に気にならなかった。世の中には知らないたくさんのことがあって面白かった。


なぜ祖母は盲目だったのか、今考えると貧乏の末の栄養失調とか、戦後のどさくさで医療がよくなかったのかと思う。外を歩く時は手を引いた。一緒に銭湯に行くと祖母は石鹸で髪を洗った。シャンプーを使わないんだとびっくりした。試しに自分も石鹸で髪を洗うと、髪はキチキチになって一切すべりがなくなった。これは便利だと思った(笑) しばらく石鹸で髪を洗うのがマイブームになった。


私の赤字ばかりの愛情収支表で、祖母は滅多にない黒字の愛情を残してくれた人だった。自分の存在に疑問を抱く時、そういった無償の愛の有無は重要なのだと思う。なぜ生きているのかという疑問にそれは理屈としてではなく、暖かさとして答えてくれる。それなのに名前を覚えていないとは。少し汗が出た。


祖母には墓すらない。貧乏だったのでお骨はある寺に奉納されている。生前は自分の悪い娘になけなし金を盗まれたりしていた。盲目だからなす術がなかった。娘は4人いて下の2人はまずまずだったのだけど、上2人はどうもよくなかったらしい。


母は最初は私に優しかったけど、生活に負けて私に辛く当たるようになった。だから結局愛情収支表はマイナスになった。母子家庭で良かったのに復縁するからそういうことになる。でもまあそうしないと弟は生まれなかったわけで、いろいろとこんがらがるのだけど。


祖母がいた時間は実に短かった。でもその愛情あふれる時は記憶の中で永遠に続いている。誰にも愛されてないのかなと思う時に、いやいやそうじゃないとと否定してくれる記憶。自分で自分をフォローできなくなった時にそういう記憶は強い。自分がくだらない人間じゃないと思わせてくれるもの。
今度帰った時にはその寺に行って名前を確かめてこようと思った。