Deadman on the lonely

寒くて寂しい年末かなぁと思ってたら、予想外の南風。フフフ。いきなり元気になってしまうからゲンキンである。たまには太陽が顔を出すこともある。孤独の中で自分を鍛えようと思ったけど、ほんとは1人では生きられないんだなぁというのがよくわかる。生きられるけど、1人で生きるのはつまらない。
列車の窓から街灯りを見つめながらいろいろ考える。いつも自分のいる場所から少し離れてみると、自分の事がわりかしよく見える。なぜ今のような状態になったかもわかっている。辛さに叫び続けていると自分の痛みにはさほど気づかない。我に返った時の痛みはまたしみじみと応えるものだ。そんな悲しみをどっと感じながら、涙が零れ落ちぬよう顎を上げて窓を見た。心はなぜ痛むのだろう。種族保存の本能から考えてあまり必要のない機能のようにも思える。しかし心は痛む。胸と腹の間くらいに虚しさ、空っぽさ、ひりひりと染みる痛みのようなものが渾然一体として湧き上がる。自分の一部を失っている、ということかもしれない。それにかけた希望や夢なんか。もともと手の中にはなかったのかもしれないけど。かけがえのないものだったんだろうなと思う。

皮肉なことに、ここに到ってようやく君のいる場所というゴールが見えてきた。こういうのを書きながら、本当にそこにたどり着くのかどうだろうかと疑問にも思ってたけど、ゴールはあった。それは見えただけに過ぎないけど。東京から富士山は見えるけど、たどり着くにははるかに遠い。でも見えるというのはいよいよラストにさしかかったかなという思いもある。それは多分、4つくらいのことを同時に満たさないと駄目なのだけど。そして最も困難なもののうちの一つは人の間でしか磨く事ができない。もう時は過ぎてしまったのではないか、という気持ちもある。
それでもたどり着こうとつくまいと私は前に進むのだと思う。理由や結果は考えない。そこにしかないものがあるだろうから。そしてたどり着いて自分が人並みの人間になれたとしても、果たして私が受け入れられるのかどうか。それも本当は不明だ。むしろそれがわかってて劣等感を理由にした疑いもある。けれども。ここまで進めてきた。
もう全てを失ってしまったかもしれないけど、そしてゴールには廃墟しかないのかもしれないけれど。
最後に、失くした7/10をベットしてみる。20年間眠っていた、私の使われなかった場所。孤独の中で試してみる。
あの時以来、私が生きてきたのは、世の中に対する好奇心と、もしかしたら絶望以外に何かがあるのではないかという疑いだった。私のささやかな夢は「おう、生きてて良かったじゃん、いいことあったじゃん、自分の場所があったじゃん」と暖かい誰かの横で所で思えることだ。未だそういう瞬間は来てないけど、まあそういうスズメの涙ほどの期待はある。そのためには自分を変えていかなきゃだし、いろいろと自分を教育する必要がある。
そういうことがてぎるように今年は引き締めて行きたいなと思う。